例えば「白えびのドーナッツ」

日記 ,

 

例えば「白えびのドーナッツ」である。
温められて、拙い甘みを膨らました白えびは、おぼろ昆布のうま味と粘りに支えられる。
この小さき輪の中のおぼろ昆布の量は、計算尽くされているのだろう。
昆布の風味が出すぎることなく、白えびの色気を色気を引き出しているものだから、噛んだ瞬間にどきりとする。
例えば「ぶりのお造り」である。
これは握りではない。ぶりの出汁を減圧調理器で染み込ませた大根を細かく切ってぶりの下にかまし、上には血合いを炙って細かくしたものが乗せられる。ぶりのすべてがここにある。
一切れのぶりなのに、ぶり一匹を丸ごと食べた味わいが、舌を抱く。
例えば「フグの焼き白子」である。
焼いた白子には、フグの出汁で炊いた粥がかけられている。
口の中でねっとりと潰れて、濃密な精の味を放出する白子を、フグの滋養を吸米が交わる。ああ、なんともいやらしい。
例えば「フグのたたき」である。
これ以上でも以下でもない、最大の旨みを発揮できる厚さに切られたたたきには、鱈の白子とバタによるソースがかけられている。
噛んで噛んでいくと、フグのうま味が現れて、ソースと手を繋ぐ。
もうそれだけで心を焦らすのに、実はこの皿の主役は白菜だった。
煮詰めたフグの出汁でじっくり炊いた白菜を、軽く絞って添えてある。
一口目は、白菜である。
炊いた白菜であるが、ゆっくり噛んでいくと、フグの濃厚な旨味と一緒になった白菜の甘みが膨張して口を満たす。
田舎に育った、純朴で色気とは縁のない少女を、海の神が見惚れて合体し、女としての性が目覚めた白菜である。
どうにもいけない、白菜なのである。

名古屋「野嵯和」にて
その類稀なる素晴らしきコースの全容は、下記にて。