人生の味

食べ歩き ,

「切り干し食べる?」。あつこさんが聞く。
「はいいただきます」。
あつこさんの切り干しは、椎茸、揚げ、アサリ、人参、そして切り干しがあえられたものであった。
「ああ」。
一口食べて、体の力が抜ける。
割烹の味でもない。居酒屋の味でもない。その間にある味でもない。
彼女が歩んできた、人生の味である。
切り干しと同寸に揃えて切られた人参と揚げ、噛み締めた時に、味が滲み出るギリギリの薄さに切られた椎茸、そしてアサリの滋味がそこに加わる。
この切り干しがもう食べられないのかと思うと、涙が滲んだ。
「今日の焼き魚は太刀魚がいいよ」。そう言って、立派な太刀魚を見せてくれた。
焼けば身はふっくらとして、卵がにゅっと顔を出している。
はらりと身を剥がし、舌に乗せる。
これまた体の力が抜けた。
塩加減と焼き具合が精妙だけど気取ってない。
味わいに、菊正の燗酒を受け止める図太さがある。
うまいなあ。
「煮魚、銀むつがあるけど食べる」。
当然である。
つやりと輝く煮魚が現れた。
美しい。
しっかりと煮含められているが、身が張り詰めて、微塵も乱れていない。
箸を入れれば、純白の汚れなき身が剥がれて、姿を見せた。
「早くお食べ」と、誘いかける。
口に運べば、つるんと唇を舐め、口の中に入っていく。
甘辛い煮汁の味わいの中から、銀むつの淡い甘みが顔を出す。
そんな魚の味をいたわるように、少しだけ控えめにした煮汁の塩梅が、優しい。
なにしろ彼女は60年近く、ここで料理を作っているのである。
感覚は研ぎ澄まされ、熟れ、自然に帰化している。
彼女が時と共に歩み、育んだ味に、僕は何もいえない。
心の中で「ありがとう」と、呟くことしかできない。
 
小田原「杵吉」にて