「たに志」の「玉子焼き」は、卵の溶き具合がいい。
白身を黄身に溶きすぎず、焼いてもまだとろんとなった白身が、いい味を出す。
火が通って甘みが増してたくましくなった黄身に、少しゆるくて味がない白身。
その対比が、凛々しさと緩さを併せ持つ人間模様に似て、ホロリとさせられる。
そこへニラが高く香って、酒を飲ます。
お母さんが作った料理と料理屋が作る料理、アマとプロとの、ちょう中間辺りという、絶妙な間具合が、実によろしい。
「たに志」は、高知市の繁華街、飲食店が集中した帯屋町の路地にある。
「家庭料理とお茶漬けの店 たに志」という看板を灯し、入り口横には「おでん」と書かれた提灯を下げている。
店をやられて52年になるいう。
もともと別な方がこの場所で店をやられていたのを譲り受け、お茶漬けの店を始められた。
今はなき初代は、谷脇志郎さんという方で、ご主人の名前から店名をつけたのだという。
今は初代の奥さんである女将さんが、息子さんとともに店を仕切られている。
いつも和装の割烹着姿で接客され、物腰柔らかく、チャーミングな女将さんを目当てで来るお客さんも多いと聞く。
名前をお聞きすると、
「良子です。良子の良は、不良の良ね」と、笑われた。
失礼ながら、お年を聞くと
「私? 忘れちゃった。息子は50だから想像してね」と、可愛くかわす。
納豆を頼むと、生卵をとふわふわに泡だて、上に海苔をたっぷり乗せて運んできてくれた。
こいつは燗酒が進む。
玉子焼きと納豆を食べたら、先ほど夕飯を食べたばかりだというのに、お腹がすいてきた。
この店に来ると、いつもそうだ。
肴を一つ食べるたびにお腹が空いていく。
特に珍しい料理があるわけではない。
どこにでもある惣菜が中心なのだが、味の芯に人情が染みているので、お腹が空いちまう。
勢いで「鳥肝煮」と「串カツ」を頼んでしまった。
甘か辛く煮た鳥肝煮は、肝の甘みと味付けの塩梅がピタリと決まって、口元が緩む。
方や串カツは、香ばしい衣から、肉の旨味がこぼれ出る。
こうなったら止まらない。
シジミ汁とおにぎりを頼む。
そしてわがままをお願いした。
「おにぎりは、お母さんが握ってくれませんか」。
「もう今では息子が握っているのよ。息子の仕事を奪っては悪いわ。でもね握ろうかしら」と、快諾してくれた。
鮭、梅干し、昆布の佃煮、焼きたらこがそれぞれ入った、おにぎりは小さい。
子供の握りこぶしくらいである。
海苔が巻かれ、青海苔とゴマが天にふりかけられたおにぎりを、一ついただいた。
手で持つと、ふんわりとして優しい。
噛もうとすると、米がハラハラと口の中で舞った。
それでいながらおにぎりの形は崩れることがない。
握り具合が精妙なおにぎりである。
これはおにぎりではない。
我々と神とをつなぐ“おむすび”だ。
懐が深い、包容力を兼ね備えたおかあさん、谷脇良子さんそのままの姿を宿した、まっことのおにぎりだ。