丁寧な言葉には、丁寧な心が宿る。

「いらっしゃいまし」
江戸っ子らしい、ご主人の歯切れの良い声に出迎えられて暖簾をくぐると、運良く、ご主人前のカウンター席が空いていた。
この席はとんかつを揚げるご主人の一挙手一投足が眺められるからいい。
時折ご主人と世間話を交わしながら、食べられるのがいい。
「いつもお世話になっています。今日はどういたしましょう」。
座るとご主人から挨拶をされた。
ここは人気のとんかつ屋である。
カウンターをずらりと並ぶ男たちが、一心不乱にとんかつを頬張っている。
誰も喋ってはいないが、おいしい活気が渦巻いて、食欲を煽る。
「ポークソテーをください」
「はいっ。ポークソテー一つ」。ご主人がよく通る声で注文を通す。
その声音で、また一つお腹が空いた。
今日はとんかつではなく、誰がなんと言おうとポークソテーだ。
大井町の駅を降りた時からそう決めていた。
「ビールをください。あとお新香もください」。
「ビールは生ビールですか? 瓶ビールですか? 瓶ビール、わかりました。瓶ビールと上新香ひとつ。カブは皮向いてね」。
また一つお腹が空いた。
ビールとキャベツの塩もみ、お新香が運ばれた。
しばし飲みながら、ポークソテーを待つ。
「ここのカツは並かつという命名がいいねえ」
「ありがとうございます。並てえのは、スタンダードという意味なんですが、今ではなにか下とか安いとか思われているようでしてねえ」。
寿司屋や蕎麦屋からも「並」は消えた。
今残っているのは吉野家くらいか。
いつまでも言葉を守り続けている心意気が、また一つお腹を空かす。
「並も上もロース肉ですが、並は腰あたり、上は肩に近い、牛でいえばサーロインですね。ポークソテーもこちらを使っています」。
そう言いながら揚げる前の肉を見せてくれた。
お新香をあらかた食べ、ビールもなくなろうかという頃合いに、運ばれた。
「ポークソテーお待ちどおさまでした」。
茶色に炒まった玉ねぎのソースが、豚肉に覆いかぶさり、甘い湯気を立てている。
「ごくっ」。喉がなった。
たまらず肉を食べる。
おお。豚肉はしなやかできめ細かく、歯がすっと吸い込まれて、ほの甘い肉汁を滴らす。
「うまい」。
ひとりごちて、顔が緩む。
ケチャップを使った、甘めのデミグラスソースがいい。
その甘さが豚脂の甘い香りと合わさって、もうれつにご飯が恋しくなる。
「定食をください」。
「はいありがとうございます。ご飯少なめにしましょうか?
「お願いします」。
お新香などを食べているのを見ての、このさりげなき配慮がいい。
ご飯が来た。豚汁が来た。
ご飯がうまい。豚汁がうまい。
香り立つご飯と根菜の香りと豚の滋味が溶け込んだ豚汁を従えて、ポークソテーは一層うまくなる。
「七味ください」。豚汁にかけたくなって頼む。
「はいこちらですどうぞ。いやこれ買いたてなんです。だから香りがいいですよ。浅草まで買いに行きましたら、大辛、中辛てありますでしょ。あれ、「おおから」じゃなくて、「おおがら」と呼ぶんですね。江戸言葉のなごりなんでしょうね」。
いやあ、七味が一層美味しくなった。
ポークソテーをあらかた食べ終わると、玉ねぎと少量残った肉をご飯に乗せ、さらに残ったソースを掻き集めて垂らした。
ちょいと下品だけど、心を鷲掴みにするうまさである。
これこそ下手の迫力に他ならない。
その様子を見ていたご主人が「ありがとうございます」と言われた。
「このソースはハンバーグ用で、時間をかけて作らさせていただいております。昔ながらの手間暇かかる仕事なんです」。
食べ終えた。
お茶を飲みながら余韻に浸る。
「こちらはお昼休みがないんですね」
「ええそうなんです。だから一日中同じメニューでやらさせていただいております。休みがないのは親父の方針でして。食い物屋は食べたい時に来て守るんだから、休みを作っちゃあいけない。そう言ってました」。
良き時代の誠実を守り続けるご主人に、こういう店があることに感謝したい。
「ごちそうさまでした。実はポークソテーをいただくのは初めてだったのですが、いやあ、おいしいですねえ、すっかりファンになりました」。
「ありがとうございます」。
「お会計をお願いします」。
「かしこまりました。はいお一人さま、おたちでえす」。
丁寧な言葉には、丁寧な心が宿る。
それが料理となって、我々の心を豊かにする。
大井町「丸八」にて。