「引き算の料理」という言い方を、よく見かける。
料理人でもないのに、甚だ恐縮ながら言わせてもらうと、料理に引き算はないように思う。
数多くの料理と出会って来たが、料理には、足し算と掛け算しかないと思うのである。
優れた料理には、足しすぎない勇気、掛けすぎない見識というのはあっても、引く勇気や見識は見当たらない。
その後運ばれたお椀は、加納蟹のお椀である。
蓋を開けると湯気が顔を包み、蟹を軽くまとめた寄せものが椀種として鎮座していた。
椀ツマも吸い口もなく、蟹とつゆだけである。
鯛などの白味魚のすり身をほんの少しだけと、浮き粉でまとめているのだろうか。
蟹の寄せ身は、箸でつかもうとすると、はらりとほどける。
まずつゆを飲む。
先ほどの昆布の味は消え、澄んだうま味が舌を洗う。
蟹を食べる。
エレガントな甘みが、舌を震わせる。
ここに答えがあった。
蟹の品のある甘みには、昆布の強さが共鳴するのである。
昆布出汁という海を得た蟹は、まるで新たな生態域を得たかのように輝きを灯している。
深い、気品のエキスを滴らせる。
この出会いに、他の要素はいらない。
柚子の吸い口や、白髪ねぎも余計である。
だがそれも、今朝近郊で水揚げされた蟹の息吹があるからだろう。
ここに引き算はない。
蟹と水、昆布による、単純でいて美しい足し算があるだけである。