「地味」とは、華やかさに欠け、目立たないことを指し、現代では褒め言葉としては使われない。
しかしこの料理は、地味だと言いたい。
堂々たる地味だと言いたい。
今東京の割烹が披露する、華麗な方向とは、まったく逆にある。
インスタ映えとも、真逆だろう。
一口食べて、一同が押し黙り、しばし言葉が出なかった。
それこそが、真の「地味」ではないのか?
「地面」が生み出した、汚れなき「味」なのである。
「地」に住み着いた人間たちが、「地」への感謝を形にした料理である。
それはすなわち「滋味」であり、自分自身のありようを問い詰めた「自味」であり、慈愛に満ちた「慈味」である。
そして恐ろしく手間と暇をかけないと生まれない、「地味」である。
彼女が考案した料理であり、他店にはないオリジナルでありながら、まるで昔から伝承された料理のように自然であり、トコブシと豆が互いをたたえながら馴染み、微笑んでいる。
二口。三口食べたあたりで、一人が「おいしぃ」と囁いた。
するとその意識が、さざ波となって他の人も共鳴し、心が震えていく。
美味しい料理とは、本来こういうものである。
「トコブシと豆の炊き合わせ」 銀座「割烹 智映」にて。