揚子江菜館

冷やし中華 東西対決

食べ歩き , 寄稿記事 ,

拝啓 門上様、冷やし中華食べていますか?

僕はこの時期になると、まずはフツーの街の中華料理屋に行って、フツーの冷やし中華を食べ、高まる冷やし中華熱望を、一旦鎮静化します。

豪華食材に頼らない庶民系冷やし中華には、温かさと切なさがあって、心が落ち着くのです。

そして次に、神保町「揚子江」に向かいます。

なにしろ昭和8年に考案したという、「冷やし中華発祥の地」でありますから、冷やし中華ファンにとっては、お伊勢参りのような神聖な行事なのです。

ざるそばから母国中国にはない麺料理を発想し、富士山を模して盛り、15品の具を、麺と馴染みがいい細長さで、放射状に飾り、二百回は試作したという甘酢ダレで整える。

すっきりとしているのに、クセになるコクがあるタレや、様々な具が麺と抱き合い生まれる喜びなど、すべてが涼を呼び、厳しい暑さをひと時忘れさせてくれます。

でもなにより、この店から全国に巣立ち、「冷やし中華」という日本独自の食文化が生まれたのかと思いながら食べると、涙が滲んでくるのです. 

門上さん、上京の際はぜひ、一緒に食べませんか。

そして一緒に泣きませんか。

 

関西「中華のサカイ」京都

 

揚子江菜館の「五色涼拌麺」(ごもくひやしそば)の話。

この麺の生まれは昭和8年。

日本生まれ日本育ちの2代目が考案したそう。

もとは賄いからのスタートだそうで、きっかけは「まつや 」のざるそばが大好きだったことから。

日本には夏につるっと気持ちいい麺(蕎麦)があるのに、

自分の国の料理にはそれに等しいものはないのかと考えた結果、

冷やし中華の原型が生まれたそう。

家族や店のスタッフからの評判もよく、ならば店のメニューにするかとなったとき、考えたのが見栄えと素材のぜいたく(栄養豊富に)さだったという。

現在も(昔から)ここの麺を表現するときに言われる〈富士山型〉は、当初からイメージしていた。

なぜなら、店の場所から富士山が見え(今も!)、近くには富士見坂があり、

そこからはよく富士山が見えたんだとか。

そこでさらに考えたのが、富士山型にする際、どう彩りよく具材を並べるか。

たどり着いたのは「四季折々の表情」を彩った麺にしようというアイデア。

色に分類するなら、

・白(尾根〜頂上の雪化粧をあらわす白寒天)

・緑(四季の彩りに欠かせない緑という意味と、元は夏のメニューだったので旬の素材のきゅうり)

・茶(秋の大地の色をあらわす焼豚と、落ち葉の色をイメージした筍煮)。

そして、やはり雲の冠をかぶせないことには富士にはならんということで

白いもの……と思ったが、先の白寒天が決まっていたので、

ここは変化球で錦糸卵の黄色をふんわりこんもり、天高く。

 

さらに、ぜいたく(栄養満点)とするために、具材ももっと増やそうと、計10品に。

先の5品に加え、しいたけの含め煮、エビ、きぬさや。

そこまでは肉眼で見えるのだが、もう2品、錦糸卵を崩すとそこにうずらの卵と肉団子が隠されている。

これは宝探し的な遊び心でそうしたのだとか。

過去発祥時は、”五色”と付けているだけに、五品目のものというのもあったらしく、

廉価版、豪華版と2種用意があった時代もあったとか。

なので、昔のことを知っている人で、もうそんなに食べられないよという人には、五品バージョンもやるんですよ、とのこと。

 

そしてここが面白い。

なぜあのような千切りの細さと長さになったのか。

2代目は実はかなりの愛煙家で、常にくわえタバコの御仁だったそう。

で、具材の乗せ方、切り方をあれやこれや考えていたときに、ふと目に止まった自分のタバコ、ショートホープ。

あ、短すぎず長すぎずの、このサイズにしようと、思ったのだという。

また、その細さはタバコの相棒、〈マッチ〉から。

2代目の身近なアイデア無くしては、あの勇壮な冷やし中華は生まれなかったのです。

 

でも常務曰く、「なんといってもこの料理の肝は甘酢ダレですね」とのこと。

試作を繰り返すこと200回以上、試行錯誤の上、

甘すぎず、酸っぱすぎない極上のタレが仕上がったのだとか(ちなみにこれも発祥当時からのレシピだとか。

「私はこれに水を入れて、夏はお酢ドリンクにしていますよ。わはは」と

おっしゃっておられました。

 

さて、冒頭の”元祖”に関してだが、本当のところはどのように捉えていますかとお聞きしたところ、

「もとは昭和50年頃のTV番組で、冷やし中華の特集があり、その制作スタッフが調べたところ、うちの冷やし中華がもっとも古いとなったそうで、そう言われるようになったんです。私たちからは、何も発信はしていないんですがね」と、相当余裕の表情。

でもその番組を受けてか、やれウチが発祥だと言い出した店もあるようで、まぁそういうのは発祥説というのは誰にもわからないものですからねぇと言いながら

「でもそちらは昭和10年のようですから、やはりウチの方が古いようですけどね」と、やはり余裕の表情で語ってくれました。

そこでドコの店、と名を挙げてこないところが、老舗の余裕と華僑の余裕

 

でも、やはりこの麺には愛着と、そして風雅な面もありまして、ほかの冷たい麺ものには「冷」麺という文字を使っているのですが、これには「涼」という字を使っているのです。

その差は、「やはり夏の涼を感じてもらいたいという季節感、涼やかさを大事に思っているからです(ほかのどうでもいいものには冷を使っているんですよ、わはは)」と、おっしゃっておりました。