ピザとの遭遇

日記 , 回顧録

「今度ピザを食べに行かない?」
叔母が、突然妙なことを言い出した。
「ぴざ・・・」。どんな食べ物だろう? 叔母はアメリカ帰りで、カッコイイものを教えてくれる人だった。
「おいしいわよぉ。まあイタリア版のお好み焼きネ」。
ますますわからない。だが、きっと、おいしいものに違いない。
そう。僕が初めてピザを食べたのは1965年、小学四年生のときだった。
東京オリンピックの翌年で、街にはアメリカ文化があふれ出し、渋谷、赤坂、六本木、青山といった東京南西部が、急速に変化していった時代である。
店は、ホテルオークラ近くの低地にあった。
東京のマフィアボスともいわれたニコラ・ザペッティの経営する「ニコラス」である。
日本ピザ史によれば、発祥は戦後の神戸で、その後ピザを食べさせる店として、53年に横浜本牧に「オリジナル・ジョーズ」、銀座に「イタリー亭」、55年に六本木「シシリア」、56年に「ニコラス」、58年に「アントニオ」が開店している。
「ニコラス」は人気店で、ザペッティを主人公にして東京の闇社会を描いた「東京アンダーワールド」によれば、フランク・シナトラ、エリザベス・テイラー、明仁皇太子ケーリー・グラント、ザウィア・クガート、力道山など、夜ごとに有名人が訪れる繁盛店だった。
そんな店とは知らず連れていかれた小学生は、怪しい雰囲気に固まった。
薄暗い店内では、酒瓶に刺したキャンドルの炎が揺れている。
赤と白のギンガムチェックのテーブルクロスに肘をつき、ワイングラスを片手に、秘めやかに談笑する大人たち。
そこへタバコや香水の香りが入り交じる。
大人社会の危なさに、興奮した。
いけない食べ物にありつけそうな予感に、胃袋が鳴った。
やがて「ピザ」が登場した。
平たいパンに、赤いソースと溶けたチーズがかけられ、サラミやマッシュルームが見え隠れしている。 大人たちは我先にと手を出し、
「おいしいわぁ」。と笑顔を浮かべた。
その様子に安心して、一切れ口に運んだ。
ほおばった瞬間に口が止まった。
油臭さが口全体に広がり、チーズの香りが鼻につき、歯にまとわりつき、妙にしょっぱい。
塩辛のような味わいもする(それが「あんちょび」なる食べ物だと知るのは、10数年先である)。
「だめだ」。本能が危険信号を発して、二口と食べられなかった。
なんで大人たちはこんなものをおいしいと思うのだろう。
二度と食べるものか。
「大人になりたくない」。
油とチーズの余韻で気分が悪くなりながら、空腹の少年は、固く誓った。
2016