なぜこんなにも味わいが溌剌とするのだろうか?

食べ歩き ,

沼尻シェフが火を通すと、なぜこんなにも味わいが溌剌とするのだろうか?
えこめ牛も子羊も、噛んだ途端に、生き生きと命のエキスがほとばしる。
しかしそれだけではない.
例えば子羊に添えられた、万願寺唐辛子の火入れに目を丸くするのである。
噛めば、まだ生のような感覚もありながら、口の中でとろりと甘く溶けて、うっとりとさせる。
一見普通のように見えて、噛むほどに奥深い。
淡い滋味がしみじみとうまいウサギのガランティーヌに添えられた、トレヴィスもそうだ。
芯はシャキッと葉脈はくたっとして、この野菜のほろ苦みと甘みで満たされて、感謝の気持ちがわき上がる。
そして「ズッキーニのフリッタータ」。
「何度も失敗しまして、ようやく出来るようになりました」。とシェフが照れ笑いするフリッタータは、卵料理の理想を問いかける。
ふんわりとした生地に歯が包まれると、甘い卵の香りに包まれる。
甘い香りの中を、これまた火を通しすぎていないズッキーニの甘みが舌に流れる。
いうてみれば、単なるズッキーニのオムレツである。
しかし、卵は最上の役目を果たし、ズッキーニは最大限のうま味を発揮する。
これこそが「料理」なのだ。

パスタの話は、また後日。