一口食べた途端、体中の力が抜けていった。
食べているのは自分なのに、スープとパスタの中に浸かった感覚がある。
泉質の柔らかい温泉に入ったかのように、都会の汗が抜け、呼吸の速度が緩くなり、精神と肉体が弛緩していく。
「はあ」。
言葉にならない、ため息が漏れた。
目の前にて30分かけ、慎重に綿棒で伸ばしに伸ばし、包丁で均一幅に切ったタリアッテレは、一人前ずつ茹でられ、蛤のスープに入浴した。
口にすれば、タリアッテレと名を変えた天女の羽衣が、舌の上で舞う。
華やかではかない存在を、優美に伝えくる。
人間に作られながらも、命が吹き込まれ、自らの意思で軽やかに踊る。
そして噛む間もないほどに、瞬く間に消えてしまう。
今のは幻だったのか。
自分が食べたものが夢のようで、しばし押し黙った。
味変用にと、サマートリュフ、ドライトマト、山椒オイル、蛤のサフラン煮と4種類のコンディマンが用意されるが、ほとんど使わなかった。
それらを使えばさらに美味しくなる。
だが「スープと麺」という、素朴な蜜月を壊したくなかった。
巻いた麺を、スプーンですくったスープに入れて、食べる。
頭に霞がかかる。
気がつけばなくなり、口の中には小麦粉の甘い夢だけが残った。
自由が丘「Siamo noi」 吉井りくさんのタリアッテレ・イン・ブロード