荻窪「北京遊膳」

失われつつある名工の技

もし「北京遊膳」が無くなったら、もう日本では食べることが叶わなくなる料理がいくつかある。その一つがこの「賽螃蟹(サイパンシェ)」である。

店主齋藤永徳氏は、西新橋にあった「王府」から、山の上ホテルの「新北京」を経て、この料理を40年間作られてきた。

「他の料理人に教えても、できなかった。僕がこの店を辞めたら、作れる人はいなくなるだろう」という。

螃蟹は柔らかい蟹の意味で、賽は匹敵するという意味があるので、蟹料理に勝るとも劣らないというこの料理は、卵の白身と黄身を別々に料理する。

卵白に白身魚とほぐした貝柱、塩とスープ、水溶き片栗粉を入れて混ぜ、それを熱した油に入れていく。卵黄は蟹の身と塩と混ぜ、葱油で軽く火を通す。白身の上に卵黄をかけ、生姜のみじん切りをのせて出来上がり。こう書くと、いかにも簡単そうだが、これが至難の技である。

「2分でできます。でも奥さんには、賽螃蟹を作るときだけは、話しかけるなと言っています」。40年間作り続けても、集中力が必要な料理なのである。

油の温度、白身の落とし方とスピード、いつ混ぜるか、かき混ぜ方、上げるタイミングなどに、常人を越えた細心がある。

「卵白に力がないとできないので、特注の卵を頼んでいます」。そうはいうが、火を通す前に、スープと片栗粉と白身魚、塩と貝柱で、出来具合を決めなければならない。卵白や片栗粉の力を読み取る能力がなければ完成はしない。

もう一つの卵料理、黄身をとじた「溜黄菜リュウホワンツァイ」共に、名工の技として記憶されなければならない料理である。

「賽螃蟹」を口には運べば、白身はふんわりねっとりとして舌にしなだれ、さながら蟹の身のような食感があり、また白身に蟹は入っていないのに、蟹の風味を感じさせる。そして、なにごともなかったように口の中から消えていく。

油っぽさは微塵もなく、白身魚や貝柱のうま味を抱き込んだ優しい味わいが、流れていく。白身は、ふわふわなんだが、柔らかすぎない。固まっているのだが、固まっていない。卵白の良さを最大限に引き出す料理ではないだろうか。

一方卵黄は、固まっているところが一切なく、液状だが生ではない。黄身の甘みと香りを最大限に発揮しながら、さらりと白身に寄り添っている。黄身の仕上げにも、手練の技が光っている。

「揚げるのではなく、油を通すんです」。油の温度が高いと、卵白の中に入ったスープが逃げていってしまう。低い温度でありながら固まるギリギリの温度に落とし、最初は触らず、卵白と片栗粉の力が結集する様子を見ながら、おたまで形を整えていく。

おそらく、ちょうどいい湯加減のお風呂に入って、気持ちがいいなあと思っているうちにスープと卵白が抱き合う。そんな感じだろうか

だから口に入っても、繊細ではかなく。どこまでも優しい。食べ進むに従って、心が安らかになっていく。

これが「淡味」を基本とする、北京料理の真髄なのだろう。かつて北京料理を食べることができる店は、東京にはいくつもあったが、今は極端に少ない。広東料理と四川料理が主流である。

斎藤さんは言われた。「北京料理がなくなる。それは日本に中国料理が伝わってきた歴史が失われることなんです」。