「今日はむきたての赤貝を用意しました」
綿貫さんはそう言って、殻に入った赤貝を見せてくれた。
やがて剥きたての赤貝が、ザルに入れられて登場する。
生々しい。
貝がてらりと濡れて、妖しく輝いている。
そう思わせる、艶かしさがある。
赤貝を剥きたてで出す。
ここ「後楽寿司 やす秀」の春のスペシャリテである。
やがて赤貝は掃除され、握られた。
普通は噛むと、鉄分の香りが立ち上がってくる。
しかしこれは昆布の香りがするではないか。
噛み込むと普通は、淡い甘みの中から微かな渋みが滲んで、赤貝らしい勇壮な味わいとなる。
しかしこれに渋みはない。
噛むほどに、甘みが滴り、舌に染みる。
赤貝に、優しさがあることを、初めて知った。
次にヒモの握りを出してくれた。
胡麻と酢橘を加えてある。
「おやじが考えた仕事です。少しえぐみがあるものを、ごまで和らげるんです」。
他にはない仕事である。
もう亡くなられたおやじさんの話になった。
いつも代替わりした息子の仕事を、黙ってニコニコしながら見ている親父さんだった。
「通ったけど、親父さんとはあまり会話を交わしたことがない。昔の職人らしい無口な方だったよね。でも目の前に女性客が座ると、しゃべりかけて話していた(笑)」
「そうでしたね」。
そう言って綿貫さんは、優しそうな目をして笑った。
親父さん、息子さんは立派にやられていますよ。
他の寿司屋にはない仕事をされて、多くのお客さんがついてきていますよ。
目を閉じると、親父さんが息子と同じ優しい目をして、嬉しそうに微笑まれて姿があった。