昔からとんかつが好きだったかというとそうでもない。
たまに連れて行ってもらった洋食屋では、好物のグリルチキンかエビフライと決まっていて、浮気することもなかった。
家庭でも揚げ物といえば、母の好きなコロッケが主流で、とんかつは滅多に登場しない。
それもヒレカツで、ロースカツはお目にかかったことがなかった。
初めてとんかつを揚げたのも、初めてとんかつを外食したのも高校一年生のときであった。
外食といっても学食である。
長さ16センチ、厚さ1.5センチほどのロースカツで、ソースをジャブジャブかけて、どんぶり飯を掻き込んだ。
端の脂身が多いとこを、ソースまみれにして食うのがたまらなかった。
揚げる方は大失敗した。
高校ボート部の合宿所で炊事当番を命ぜられ、肉屋でパン粉つきを買ってきたまではよかった。
一枚ためしに揚げてみたところ、瞬く間に焦げ、真っ黒の固まりが出来上がった。
あわてて火を落としたのが功を奏し、二枚目からはうまくいったが、足らない分自分は食べられないのかと思うと、悲しくなった。
だがうまくしたもので、数を間違えて一枚多く買っていたのだった。
その時のかつは涙が出るほどうまかった。
学食よりも、今まで食べてきたどのフライ物よりも。
世にいう「とんかつ黎明期」である。
大学に入ると、かねてよりの計画を実行する。
いまだ飲食店でとんかつを食べたことがない奥手ゆえ、筆おろしは評判の高い店にしよう。
その後、名店を巡ってみようと。
当時穴が開くほど見ていたのが、「山本嘉次郎の東京たべあるき地図」、漫画家富永一郎の「東京バッチリたべある記」、講談社の「うまいもの屋」である。
三誌を比較研究した結果、上野にも銀座にも行かなくてはいけないことがわかった。
だが初心者として、まず押さえなくてはならない店が目黒にあった。
「とんき」である。
六月だった。
バイト代を握り締め、鼻の穴を膨らませて目黒駅に降り立つと、「とんき」は、威風堂々と辺りを睥睨している。
紺地暖簾に白く抜かれた、右から左へ流れる「とんかつ」の文字を見て、闘志が高まった。
でかい暖簾、でかい字、でかいガラス戸。
「そこいらのとんかつ屋と、一緒にしてもらっちゃあ困ります」と、いっているような自信が、大きな文字となっている。
戸を開けて驚いた。
コの字型カウンターは満席で、十人ほどが、つばを飲み込みながら、いまかいまかと待っているではないか。
列になっていないので不安になりながら、近くの人の横につき、つばを飲み込んだ。
以下次号