この先、これ以上のお椀に出会うことは、一生ないかもしれない。
そう思うと、涙が滲んだ。
今後出回ることないかもしれない、羅臼の天然昆布黒走の一等を使ったお椀である。
収穫から乾燥、旨みを引き出す熟成までには、半年以上、23の工程を経て出荷される。
ご主人と奥様は羅臼に出かけ、昆布漁師に会い、家族総出で早朝から遅くまで昆布を育てる作業を見せてもらったのだという。
その過酷な労働に打たれ、年々の収穫量減少と老齢化による生産者の減少を目の当たりにし、伝えたいと考えられた。
最上級の羅臼昆布で、出汁を取る。
それが今回のテーマだった。
椀の蓋をずらし、香りをきく。
途端、海の不思議が押し寄せて顔を包んだ。
まぐろ節の芳香が広がるが、これもこの昆布の質が持ち上げているのだという。
一口飲む。
途端、身震いが起こった。
なんということだろう。
豊穣が、味覚に打ち寄せる。
それは圧倒的だが、地平線の彼方まで優しい。
液体なのに球体で、舌の上をゆっくりと転がり、喉に落ちて、胃袋にどっしりと座る。
春の陽だまりのような博愛が、余韻となって、いつまでもたなびいている。
お椀の後にお造りが出されたが、魚を食べた後でもその余韻は残っていた。
これが本当の「うまみ」というものなのか。
先人たちが、苦心して生み出した、真の昆布文化なのか。
遠大な作業の先にある、超越した力は、飲んで一週間経った今でも、心に深く刻まれている。
椀種は、つゆを邪魔せぬよう、蒸し鮑と白ずいき、蛇籠蓮根。
吸い口は、当然なし。