割烹や酒亭で焼き魚が登場すると、酒飲みの志が頓挫する。
こいつで一杯やりたいなぁと思いつつも、たまらずご飯を頼んでしまうのである。
火力と塩で抽き出された魚のうまみと香りを、熱々ご飯で受け止める。
それは、どうあっても譲れない。
そんな焼き魚とご飯の理想が「ゆたか」にある。
第一に、魚の選択肢が多いこと。
例えばある日、散々悩んで「いさきの塩焼き」を頼めば、うれしきことに白子入り。
一人ほくそ笑んでいると、右隣は、見事に太った「太刀魚の塩焼き」を出されて歓声を上げ、左隣は、つけ地の甘辛さを山椒で引き締めた「あいなめの山椒焼き」で、ご飯をおいしそうにほおばっている。
さらには丸々太った「鰯塩焼き」をむしる客、分厚い切り身の上で脂が踊る「時鮭の塩焼き」をほぐす客、「かれいの塩焼き」の上品な甘みに顔をほころばす客もいる。
いさきの塩焼きを食べながらも思いは乱れ、次はあれを食べてやるゾと考える。
これぞ料理屋に出かける喜び、日本人として享受すべき幸せじゃないですか。
第二に、一尾づけであること。
脂がのった背や腹、繊細な尾の部分、それに頭や目玉、肝と、味の違いを楽しんでこそ焼き魚。
もちろん鮭やハマチは無理だけど、それでもここは堂々たる切り身で現れる。
それゆえに、魚を食べたぞという充足感が、体の奥底から沸き上がってくるのである。
第三に、ご飯、お新香、味噌汁がおいしいこと。
丁寧な仕事が光るこの脇役陣が、焼き魚をいっそう盛り立てる。
そして最後に、火と塩の加減の見事なこと。
真摯な眼差しで焼きあげられた魚は、ヒレを立て、さあ食べろと迫ってくる。
焦げは一点もなく、皮はぱりっと香ばしく、身はしっとりと焼きあげられ、思い切りのいい塩が魚の甘みを抽き出している。
この仕事があってこそ、「日本人に生まれてよかった」と思わせる力が宿るのであり、「ごちそうさまでした」と、食後に背を正したくなる、清々しい気分を運んで来てくれるのである。
焼き魚の四理想が集う「ゆたか」。
僕の目下のたくらみは、名物「鯛カブトの山椒焼き」を一人占めし、思い残す事なくご飯を食べることである。
閉店
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