「これならフランス料理や中国料理にも、負けないのではないでしょうか」。
そう森川さんは言われた。
それほどまでに濃い出汁だった。
滋味が、津波のように押し寄せて来る。
もう昆布だけで、鰹節も塩も薄口もいらないほど、うま味が濃密である。
鰹節を入れて濾すと、それはさらに深まった。
「でもうますぎるのはいけません」。
そう言われて、お酒と酢橘数滴で調整された。
椀種はしんじょうである。
鱧のすり身に浮き粉出汁と卵白を入れ、それだけではゆるすぎてまとまらないため、壁に藁を入れるが如く、つなぎ繊維の役目として、ほぐした蟹の身、しいたけとネギの細切りを入れる。
まずはおつゆを一口。
「ううっ」。
うま味のダイナミズムが、舌を抱きすくめて思わず唸った。
次にしんじょうをいただく。
「んんっ」。
声にならない声が漏れる。
口の中でしんじょうは、ふわりとほどけて、淡雪のように消えていく。
ほのかな甘みが、ゆっくりと流れていく。
濃い、たくましいつゆと、はかないしんじょうという、対比的な存在が美しい。
相反するもの同士が共鳴しながら、高みに登らんとするスリルがある。
アンビバレントな美学が、鳴り響いて、胸を高めていく。
これこそが、割烹の烹が生み出す美である。