「今晩は牧元です。一人だけと、今から行っていいかな?」
「あら、マッキーさん。どうぞどうぞ。どうしたの?」
「いやね。今浅草なんですが、どうにもこうにも締まらねえもん食っちまってねぇ。食いなおしってえわけでさ」。
てなわけで、店に入ると、カウンターに通された。
目の前では老主人が、片っ端からフグを捌いている。
「おっいらっしゃい。食いなおしだってねぇ。たっぷり食ってきな。いいとこ刺身にしてやっから。煮凝りもいくかい?」
「もちろんでさあ。唐揚げみぞれもお願い」
「ちりも食べるかい?」
「いただきますよ。もちろん」
ふぐ刺しを食べ、唐揚げを食べ、盃を重ねていると、ちり鍋が運ばれた。
ここの鍋は、さっと火を通したやつと、少し火を通したやつを交互に食べるのがいい。
そうして食べていると、ご主人が白子を切り出した。
熱い視線に気がついて、「おっ食べるかい?」と言って、答えるまでもなく、鍋に一つ入れてくれた。
「うまいねえ〜たまんねえなあ」と、のたうち回っていると
「そうかい。うれしいねぇ。じゃあもう二切れあげちゃう」と言って、白子を入れてくれた。
ああ、あん時が懐かしいなあ。
あれからこの店は、次第に予約が厳しくなった。
今は来年の冬いっぱいまで、満席だという。
ふぐちりを頼む人は少なくなり、最近では皆「蟹大根鍋」ばかりを頼む人が多い。
「うちはフグ屋なの。蟹屋じゃないの」と、女将さんが言ってた時代が懐かしい。
ご主人は、去年お亡くなりになり、今は誠実そうな娘婿が板場に立たれている。
よく利用したカウンター席は、コロナの関係で、使われてはいない。
女将さんは健在で、娘さん二人も、若女将として、テキパキと働かれている。
そこには、家族経営の店が醸し出すほんわかとした空気に満ちていて、下町の風情が心を温める。
いやあ今度は、春と秋に、「あれ」食べに来るからね、女将さん。
牧野にて