「そうだ京都にいこう」。
京都のことをもろもろ書いたついでに、2005年に書いた京都の話。46年前からうまいもんや巡りなどなど。
ああなくなった店が多いなあ。
タイムスリップできたら、「あじ花」と「南一」、「鳳舞」と「たから船」、「つぼさか」にもう一度行きたい
「そうだ京都にいこう」。
といったかどうかは定かではないが、ヒマの浪費が仕事だった大学生の我々は、友人の提案を即決した。
かくして今から46年前の1975年の冬、男五人京都二泊三日旅行は実施されたのである。
目的は一つ、「うまいもんを食らう」であった。
そこで僕は、「完璧なプランを作る」と宣言して、数々のガイドブックを研究し、身の丈に合う美食行程を作成したのである。
十一時に京都駅に着くと、直ちに四条の「志る幸」に向かい、利休弁当と味噌汁の滋味に圧倒され、喜色満面で店を出た。
だが一同は、そこではたと気づいたのである。
夕飯も、明日の朝食も昼食も夕飯の場所も決まっている。
だがその間の行動予定を、まったく決めていなかったのだ。
マヌケである。
マヌケであるから観光はせず、食間はホテルでうたた寝をし、ホテルの支払いが足りなくなるほど、暴飲暴食した(当時はカードなんてなかったからね)。
いやあ、「イノダコーヒ本店」のコーヒーやカツサンド、「おめん」の釜揚げうどん、「平野家」のいもぼう、今は無き「八百文」の果物ジュース、「れんこんや」の若狭かれい、「天龍寺」と「奥丹」の湯豆腐を食べ比べて・・・。
うまかったなあ。
そもそもの京都との付き合いは、関西に住んでいた小学生低学年の頃に、親と河原町の「開陽亭」や「奥丹」に行ったのが始まりだった。
その後も目的は、「食べる」一筋であり、食べ物の思い出しかない。
今回特集にあたり、「料理屋だけでなく、寺や観光穴場も推薦してください」と編集部から依頼が来たが、無理なのである。
別の理由もある。
京都は底知れない。
料理にしろ、町柄にしろ、京都人にしろ、「よし、わかりかけてきたぞ」と思った瞬間に、するりと手から抜け出てしまう。
僕は常に迷宮にいる。
だからおもしろい。
でもそれは、数をこなしていくごとに増していく。
洋食なら、「たから船」や「つぼさか」といった、昔ながらの洋食文化をしみじみ味わうのもすばらしい。
あるいはが「ゴン」のピネライスや「千疋屋」のビーフカツ丼、「みやこや」の焼きスパゲッティといった、下手な実質主義も知り、「ないとう」で明日の洋食を食べ 「ブルーマー55」で、日本一しゃべくり上手の料理人堀口博さんの、オムレツや肉料理の高い技も味わねばならない。
中華なら「鳳舞」や「芙蓉園」に「竹香」で、京都の味にしびれ、焼肉屋なら「はつだ」や「なり田屋」、「あらかわ」で散財し、廉価なら「有楽」か「弘」にて、日本有数の肉食人種の実力を体感する。
さらに日本料理となれば底知れぬ。
数多くの店でいただいたが、幾度も足を運んだのは、「なかひがし」と今は無き「南一」である。
両者はまったくタイプが異なるが、料理の奥から、ケの食材を数百年に渡って敬愛し磨きあげてきた、京都人の苦心と知恵が伝わってきて、心を打つ。
いま一軒お奨めするなら、「あじ花」だろうか。
美味を食べ込んだ京都の旦那衆が気さくに楽しむ店といった趣があって、田舎者としては、なにやら憧れてしまうのである。
さて最後に散策のお奨めも一つ。好みは洛北辺りだ。大徳寺で佗寂に浸り、今宮神社で願をかけてあぶり餅を食べ、「五辻」でおやつ昆布を買い、船岡温泉でひとっ風呂。
それぞれに淡々とひなびていて、ウソがない。
なにより魅力的なのは、この一帯、特に裏通りに、異郷の匂いが充満しているからである