<江戸料理の心意気>

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<江戸料理の心意気>
染付皿の上で鼈甲色に輝くは、この店のスペシャリテの一つである、アイナメの煮こごりである。
江戸料理だから、甘くて辛い。
一口で酒が恋しくなる、まっとうな甘辛さに貫かれている。
しかし料理の本質というものは、味付けが淡くとも濃くとも変わらない。
アイナメのアイナメたる味わいが、ぐんぐん舌の上で膨らむのである。
なんでこんなに味付けが濃いのに、食材の味が生きているのかわからない。
それが江戸料理の心意気なのだろうか?
ご大身(たいしん)であろうが お大名であろうが 人というものは 心意気ばかりなものでござりますと歌舞伎のセリフにある、心意気なのだろうか?
うすいさん教えてください。
煮こごりを食べて、自家製の紅生姜で舌を締め、そこに白鷹のぬる燗を流し込む。
どんなに荒れていた心も、硬くなった体も、ほぐれていく。
決して大げさでなく、「生きていてよかった」と思わせる時間がある。
続いて「目に云う」から選んだのは、やはりスペシャリテの一つである、「芝海老の唐揚げ」である。
大ぶりの芝海老をさっと素揚げした、一見何気ないような料理だが、これとて料理というものの凄みが宿っている。
香ばしく、歯に当たりすぎぬように殻が揚げられているのに、身はふんわりと柔らかい。
芝海老の旨みが最大限出るように熱を通されているのに、芝海老というエビのつたなさを感じさせる繊細な肉体が味わえる。
一口食べれば、日本酒が大至急欲しくなる塩辛さなのに、ですぎていない。
どの料理も、「なんてこたあないよ。簡単さ」という風な顔立ちをしながら、プロの料理人でも解明できない、深淵がある。
連れが食べながら思わず呟いた。
「ああ今週仕事を頑張ってきてよかった」。
「たまる」