その味は、遠雷のように、次第に近づいてきた。
湯葉豆腐は、固まっているようで固まっていない。
豆腐は、ひんやりと滑り込み、噛むまでもなく溶けていく。
湯葉のすべてを許す優しい慈愛が、舌にぽとりと落ちる。
ああ。
ため息一つ。
それは、固まるか固まらないかを見極めた、ご主人の眼力が作り出した味である。
朦朧とさせた湯葉どうふの表面が、下地と馴染んで、味を膨らます。
ようやく箸で掴める程度に固めた豆腐が潰れ、かすかな甘みが頭をもたげて、舌に陽を落とす。
喉に落ちる刹那、葛の旨味なのだろうか。
土の勢いが通ったような気がした。
豆と葛が抱き合い、生きた喜びを確かめ合った声が聞こえた。
湯葉、葛、出汁、生姜。
昨今の割烹で出されるような豪華な食材は、一つもない。
だが、そのさりげなさに心を傾ければ、季節に生かされる感謝に揺さぶられ、目を閉じれば、人間がおよびもつかない圧倒的な自然が見えてくる。
これこそが、日本料理というものではないだろうか。
「祇園浜作本店にて」