時折失敗。

食べ歩き ,

一食たりとて気を抜かない。
毎日うまいもんを食べている。

私の食生活を、そのように想像している人は、意外に多い。
それゆえに、「えっ、そんなものも食べるんですか」と、いわれることがある。

いやあ、そうなりたいですよ。
でも現実は遠い。

必要なものは三つ。
1.資本主義の世界ゆえに、具現化するには資金が必要。
2.有り余る時間も必要(これは資金があれば大丈夫か)。
3.食べても食べてもすぐ忘れちゃう、記憶喪失気味の胃袋が必要(20代の頃は自信があったが、最近は記憶を失わないようになった)。

その上で
1、計画性 2、決断力 3、実行力も伴わねばならない。

必要条件も能力も伴わないので、 現実は遠い。

先日も港区某所で、昼食時に出かける用があった。
あのイタリアンでもフレンチもいいな。

小粋な定食を出す居酒屋も、うまい黄ニラ焼きそばでもいいな。
出かける前から思案に暮れていた。
こういうときほど楽しい時間はない。

用が終わり、悩みながら町を歩いていると、見慣れぬ定食屋を見つけた。
長年このあたりを通っているが、こんな庶民的な店があったとは。
モダンな商店街にミスマッチ。
いける。

時折人は、こうして予想外の行動に出る。
それが幸か不幸かは、神のみぞ知る。

さて、優柔不断な私は、並びの魚屋が営む焼き魚定食にするか否か。10分悩む。
結果庶民を選択。
私は、この暖簾に書かれた、「大衆」という文字に弱い。

がらり。
客は一人。
「いらっしゃい」厨房から現れたのは、よれたランニングを着た、小太りのおっさん。
「やる気ありません」オーラ満載である。

しまった。
明らかに失敗である。
きびすを返すことも考えたが、そこは太っ腹(小心者とも言う)ゆえに、出来ない。

「アジの干物とポテサラ」。
一番無難なものを頼む。
味噌汁はご遠慮した。
ご飯が大、中、並とあるので、
「並で、ご飯半分にしてくれませんか(さっさと軽く食って、並びの焼き魚で食いなおそうって魂胆)」と聞くと
「出来ないよ」。(なんで?)

ご登壇。
アジの干物は、ガン撲滅に反対の狼煙を上げて炭化し、黒々と美しい。
軽い小鉢でいなすつもりが、ポテサラは特盛で鎮座されている。

ポテサラ、完食。
アジ干物、炭化皮と頭のぞき、ほぼ完食。
ご飯、涙を呑んで半分残す。

代金払い店出るも、ポテサラ効果で腹いっぱい。
中途半端でわびしき気持ちは、今夜はらそうぞ。