春の椀もの。

食べ歩き ,

華やかな秀衡椀の蓋を開けると、木の芽の香りを上げる湯気の中に、ふっくらと太った白い肉体が座っていた。
「あいなめの葛たたき椀」である。
つゆを一口すする。
あいなめの出汁を少し入れたつゆは、豊かさの中に穏やかがある。
これを飲めば、どんな人であろうと平穏になれるだろう。
薄く薄くつけられた葛が、唇を撫で、ほろりとあいなめが崩れて、優しい甘みを落とす。
焼き椎茸の香りがあいなめの繊細を引き立て、こちっと歯に食い込む蓬麩が、魚の滑らかさを強める。
その三者のありようが、どんなものにも使命があり、調和を尊ぶ和食文化の美しさを教える。
この調和があってこそ、鮎のように滑らかであるということから付けられたあいなめの持ち味が、我々に幸せをもたらす。
やがて魚はなくなり、滋味と脂が溶け込んだつゆにが、静かに別れを告げた。
元赤坂「辻留」にて。