「進化している」。
以前作ったシェフの料理と比べて、そう表現される方がおられるが、僕は使えない。
プロの料理人でない食べる側が、勝手にそう思うことはあるだろう。
だが第一に、進化しているなどとは、恐れ多くて、断定できない。
第二に、そもそも料理には深化や変化はあっても、進化という言葉があてはまるようには思えないからである。
だがそれは進化なのだろうか。
前提として、進化という言葉を使う時、その前が劣っていたという事実を指し示すことにもなり、少しいやらしい。
また進化とは、 事物が進歩して、より優れたものや複雑になるものを指し示すが、このより優れたものかどうかの判断は、我々ではなく作り手側にあるからだと思うからでもある。
「鮨すぎた」へは、三年前から年末に寄せていただいている。
毎年少しずつ変わるものの、大方は同じ肴や同じ鮨種が揃う。
だが年々工夫されているのだろう。
同じ肴や鮨種でも変化がある。
ウニの佃煮は、甘辛い味を抱きながら、以前よりしっとりと煮えている。
白子は、出汁と柚子の香りにそっと持ち上げられながら、どこまでも艶っぽい。
炙ったさわらの握りは、口に含んだ瞬間に炙った香りが以前は来たが、今回は脂の香りと炙った香りが溶け合って、官能をくすぐってくる。
またかすごは、絞ったすだちや塩の量が出過ぎないギリギリに計算されて、そっとふくよかな甘味を持ち上げている。
ブリの腹身は、薄い二枚に切られて酢飯となじみ、噛みいくうちに脂がにじみ出てくる、優美さがある。
といった具合に、新たな発見がいくつかあった。
おそらく僕が気づいてないことが、まだまだあるのだろう。
食べていてなにより嬉しく心が弾むのは、現状に決して満足せず、常によりよき答えを探し求めて仕事される、杉田さんの姿勢である。