ここは香港である。
いや香港ですら、食べることが難しくなった広東料理が並んでいる。
鳥の精子をすりつぶして上湯とペースト状にして味付けし、揚げた、雛子才渣は、口腔の中を舐めまわし、艶を含んだ甘みと上湯の滋味を広げて消えていく。
一度揚げたインゲンは、オリーブの実と漬け込んだ葉唐辛子と一緒に和え、複雑なうまみをまとわせる。
朴訥とした甘みが滲むレンコン餅で微笑み、ほどよい酸味と辛味のつけ汁に漬け込んだ、鶏のモミジを噛みしめる。
干しイチジクと干しサボテン、スペアリブのスープは、豚肉の豊かな味わいの中に、イチジクの甘みや杏仁の甘い香りがすうっと溶け込んでいて、飲むたびに、安寧と平和をあたえてくれる。
野菜は、アスパラと絹傘茸の料理。
一度さっと茹でたアスパラを、砂糖を少量加えた上湯の中で再び加熱してある。
こうして一手間かける、広東料理の真髄は、アスパラと上湯が丸く抱き合い、品と色気が生まれている。その味に目を細めていると、スープを染み込ませた絹傘茸が、口の中をゆっくりと歩いていく。
アザハタは、二種類の料理で出された。
セロリと炒めた身は、水分を止めたままにふんわりと炒められながらも、加熱によって甘みが膨らんでいる。
塩味もこれ以上でも以下でもない、精妙な淡さに抑えられて、ハタの味が生き生きと舌に迫ってくる。
みずみずしさを残したセロリと人参の火の通しも良く、ふっくらとした身の食感んと対をなして、箸が止まらない。
一方は、アラを中心に陳皮を加え蒸して、醤油と油をかけた皿。
皮下のにゅるりの甘きこと。油と醤油、ハタのエキスが混じったかけ汁のうまきこと。これは当然白飯であります。ご飯にかけるのであります。
高価な短足の鶏料理も二種類。
一つは塩包み蒸し鶏の皮をむき、身を手でちぎって、皿に盛り、また皮をかけた料理。
一つは、熱々の醤油ダレに漬け込んでじっくりと長時間火を入れた料理である。
塩包み鶏は、優しく満遍なく入った塩味が、鶏の味をふくよかに持ち上げ、食欲を焚きつける。
方や豉油皇雛は、醤油色なれど味わ淡く、雑味がない。
醤油ダレのうま味と鶏の滋味が球体となって、舌を転がっていく。
ああ誰かこの手を止めてくれ。
またこの醤油ダレがいけません。これからチャーハンが来るというのに、また白いご飯を頼んで、かけて食べてしまったではないですか。
またこの醤油かけご飯に、優しい甘みを忍ばせたピノノワールが合うんだな。
そして干し貝柱卵白チャーハン、香滑椰汁羹、カシューナッツ汁粉で、大団円。
こんなエロく品のある料理をする厨士は、したたかな色男に違いないと会ってみれば、意外にも誠実な青年なり。
こりゃあ、またやらなくてはいけないな。
青山「楽記」にて。
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