さようなら 福田浩様

食べ歩き ,

さようなら 福田浩様
あなたの料理が、もう一生食べられないかと思うと、心が切なくなります。
先日おうかがいしていただいた、「豆腐の味噌すまし」の味わいを、いま思い浮かべていたところです。
味噌汁の上澄みだけの、汚れなき味わいの汁とともに、細かく同寸に切られた豆腐が、小さな甘みをよぎらせながら舌の上を流れていく。
その儚さ、抑えたおいしさに、あなたが研究なさってきた江戸料理の粋を感じて、なおさら寂しい気持ちになりました。
鱒料理もありがとうございました。皐月鱒ではなかったものの、焼いてから味噌だれに漬け込んで冷ますという、味噌と鱒の味わいが一体化した質素な味わいに、品がありました。
そして「ねぎま鍋」ですね。
カツオだしの中で、しっかりと火が通された大トロのマグロは、しっとりと柔らかく、生で食べてはわからないほのかな甘さをにじませていました。
次第に酸味が汁に溶け込んで、香り立つ汁。マグロと対をなしてマグロの味わいを際立てる、涼やかなセリやウドの香気。ねぎの甘み。
そしてなにより、一粒一粒ずつペンチで潰したという黒胡椒は、マグロの味の輪郭をくっきりとさせ、我々の食欲を焚きつけた。
最後の汁かけご飯をいただきながら、この味が消えていくやるせなさを味わいながら、鍋種の一つ一つが生き生きとせまる「蓬莱鍋」や、香り高い「鮎の塩焼き」、しみじみとうまい「鮎の一夜干しのだし茶漬け」、こっくりと甘辛い「玉子焼き」の味を思い出していました。
寂しい。
でも福田さんが言われるように、一つの料理屋の宿命は80年くらいなのかもしれない。
舌に刻んだこの味を、僕は死ぬまで忘れません。
だから寂しいですけど、感傷などには浸りません。
江戸文化を、記憶に染み込ませた江戸文化の滋味を、語り続けます。
店を畳まれて、さらなる研究を続けられ、またどちらかで、江戸料理の会をやっていただけることを、微かに期待しながら。
どうもありがとうございました。