おそらく芋は、切られ、炒められたことに気づいていない。
そう思わせるほど、みずみずしかった。
シャキッ。
シャキシャキシャキッ。
噛むたびに、痛快な音が響き、芋が「生きているよ!」と、叫ぶ。
その芋を、清湯の滋味と乳化して微塵も油っぽさを感じさせない、油のコクが抱きしめる。
なんとエレガントな料理なのだろう。
「KOBAYASHI」の「細切りジャガイモ炒め」である。
メークインの皮を剥き、薄切りから正確無比な細切りにし、ニンニクの細切り微量と一緒に氷水に放つ。
中華鍋を温め、太白油とラー油を入れ、ザルにあげた芋を入れて強火で炒める。
油が回ったら,浸る程度のスープを加え、半透明になったら、黒酢、塩、砂糖、日本酒で、バランスを見ながら調味する。
味が馴染んだら、少しだけとろみをつけて完成である。
皿にもられたそれは、ジャガイモには見えない。
なにか特別な麺のようである。
食べると、デンプンをまったく感じさせない。
凛々しく、清く、キリリと締まった、他の芋料理にはない品格がある。
芋が生きてきた矜恃と言ってもいい。
これこそ中国料理の真髄であろう。
どこにでもあるありふれた食材から奇跡を生み出す、料理の魔術である。
六本木「KOBAYASHI」