静岡「成生」

野菜が生きている。

食べ歩き ,

「成生」の天ぷらというと、魅力はサスエ前田さんが扱う魚介となるが、野菜類も見逃せない。
静岡の大地で育った野菜を、採れたてで天ぷらにする。
二つの鍋を巧みに使い分けながら、温度を調整しながら、力を最大限に引き出して、我々を驚かせる。
冷蔵庫の一度も入れられていない野菜たちは、摘み取られた瞬間の息吹を吹きかけるのである。
まずは、朝どれとうもろこしのスープが出された。
とうもろこしを潰して濾し、塩だけを入れたスープである。
飲んだ瞬間、もいだばかりの生トウモロコシを噛んだ時と同じ、甘く青々しく、みずみずしい香りが弾けた。
初々しいスープである。
 
次がインゲンの天ぷらが揚げられた。
大きくなる手前のインゲンを摘み取ってきたものである。
細く短いインゲンの天ぷらをかじる。
切ない。
大きくなったインゲンにある繊維をまったく感じさせずに、青々しい香りを放ち、後から幼い甘みが現れる。
僕らの本当の魅力はここにあるんだよと囁く。
インゲンは重さで取引されるので、農家の方たちは大きくなるまで待つ。
だが幼いインゲンの方が、どれだけインゲンとしての魅力を秘めているのか。
その貴重さを、この天ぷらは教えてくれるのであった。
 
続いては丸ナスである。
カリッと揚げられた衣が弾けると、ふんわりと崩れる対照的な果肉に包まれる。
油が微塵も入ることなく、純粋に蒸されただけの茄子の果汁が、しとしとと流れてくる。
ほのかな甘さの中に茄子の香りを乗せて、舌の上を流れていく。
加熱され甘さを膨らましながらも、余分な水分だけを少し発散した、茄子のエキスだけの純真さに、戸惑う。
茄子の料理法として、これ以上のものはあるまい。
そう思わせる力に満ちていた。
 
続いてはオクラがきた。
生の状態で見ると、朝露がついているかのように、表面に水気がある。
穴が開かないよう、ギリギリでヘタを切り、揚げる。
それは火を止めた鍋に入れるが、泡が猛烈に出るほど、水気を含んでいた。
揚げられ、二つに切られた断面からは、水分が滴っている。
慌てて食べれば、「まだ生きているよ!」そう叫んで、驚かせた。
今までオクラを食べてきたが、こんなにみずみずしさを感じたことはない。
汚れのない純粋なオクラのジュースが、口の中を走り、喉へと落ちていくのだった。
 
揚げたものと生を合わせ、異なる温度と甘さや香りを抱き合わせた、とうもろこしの天ぷら。
ムース状となった甘みに、ギーの香りとコクが味を深める、メークインの新じゃが。
30分以上をかけて、火の調整をしながら揚げられた、マッシュポテトのようなサツマイモ
天ぷらという料理法によって、野菜の純な生命力だけが引き出されている。
それはかじるたびに、味わうたびに、飲み込むたびに、感謝が走る料理だった。