京都「洋食おがた」

洋食の極め

食べ歩き ,

それは何気なく、「菜の花の胡麻ソースかけ」から始まった。

菜の花の優しさに目を細めると、「柿の白和」が続き、季節への想いが深まる。
さあいよいよここから緒方さんがアクセルを踏み始める
サスエ前田の前田さんの魚とサカエヤ新保さんが仕立てた、魚と肉の饗宴である。
 
まずは「桜海老の素揚げ」である。
カゴいっぱいの桜海老のつぶれていない上側だけを取ったという桜海老は、味も香りもたくましい。
小さな海老を噛んだ瞬間に香ばしい風が巻き起こって、ううむと唸らせる
 
そして「金目鯛」と続く。
皮をパリッと焼いた金目鯛は、僕らの知る金目鯛ではない。
深海魚特有の身の脆さがなく、凛々しい筋肉を感じるのである。
その身にグッと歯が入ると、ほのかな甘い汁が滴り落ちる。
 
続いて「太刀魚炙りとフリット」が出された。
炙った太刀魚を噛めば、柔らかくて脆弱な太刀魚らしからぬ肉体の張りを感じる。
ぐっと力を入れて噛み込む勢いがあって、鼻息を荒くさせる。
一方フリットは、空気を含んだようにふわっとして、あえかなり。
これが同じ魚なのか。
人間もそうであるように、従来の概念や面面は一面しか表していないのである。
我々はその裏の顔、いや真の顔を感じた時にこそ、感謝の心が湧き上がるのである。
次は肉と来た。
 
「熊本阿蘇赤牛リブロースのローストビーフ」を噛めば、脂に邪魔されない健やかな鉄分がある。
薄く薄く切られているのに、いつまでも噛んでいたい滋味がある。
少量なのに、内なる体の気を焚きつけるたくましい味がある。
 
そして「佐賀県佐々木さんの山芋と自家製カラスミ」が出された。
無農薬で作る、希少な佐々木さんの山芋は根性がある。
土中深く体を伸ばしていく、命の粘りがある。
通常の山芋では、カラスミの前では霞んでしまうだろう。
だが佐々木さんの山芋は、屈強でかつ優しい甘みでカラスミの練れた塩気を包み込む。
餅と合わすことが多いカラスミだが、これが最強のタッグではなかろうか。
 
「カマスのフライ」である。
楚々として淡い味わいがあり、身は柔らかくて品がある。
今までカマスのことはそう捉えていた。
だからフライにすると、物足りない。
ところがどうだろう。
カリッと衣が突き破れると、一瞬歯を押し返すような躍動を見せるではないか。
続いて艶のある香りが流れてくる。
カマスよあなたは、そんなにも強靭で、内に秘めたる色香があったのですね。
福留牧場の豚足のガレット シェリーのソース」である
ドイツでのソーセージ修行で福留さんが惚れ込み、鹿児島で育てる希少な
サドルバックの豚の足をガレットにしてある。
皿の上でプルプルと震えるそれは、コラーゲンがしぶとい。
特有の甘みが強く、ぐっと締まっている感がある。
 
続いて「走る豚の生姜焼き」と来た。
締まった豚脂の食感と肉汁を楽しみながら噛む喜びがある。
味は濃いのだが丸い味の絶妙な生姜焼きソースがご飯を呼ぶ。
仕方なく(笑)ご飯をもらい、乗せてみた。
ハハ。笑い止まりません。
 
お次は「再肥育したブラウンスイスのスーちゃんと吉田牧場カッチョカバロ」である。
同じ牛の乳と肉の共演は、自然がある。
噛んで噛んで、噛んで噛んで、永遠に続く味を記憶に刻む。
養分が点滴のように、ぽとりぽとりと染み渡る感覚に幸せがみつる。
 
さあここからは、王道洋食の攻撃である。
まずは「ハンバーグ」と来た。
陶酔を呼ぶ凛々しい香りが、口に満たし、鼻に抜けていく。
ハンバーグの命は、肉の香りであるということを教える正当ハンバーグである
そしてこれは官能をくすぐり、肉えの恋心に火をつける。
そして教わる。
真においしいものは、まろやかさに包まれていることを。
 
ハハハ。牡蠣のグラタンである。
グッと持ち上げると大ぶりな牡蠣がベシャメルソースに塗れて顔を出す、
これだけ食べてきたというのに、よだれが出てしまった。
一口食べて目を丸くする。
ベシャメルソースがなんともおいしい。
穏やかな丸い甘みに包まれていて、舌をいたわるように包み込む。
食べた瞬間に心根を優しくするベシャメルソースがあるとしてら、まさにこれである。
しかもそこに牡蠣のエキスが溶け込んでいるのだよ。
想像してごらん。
 
「ナポリタン」もきた。
甘やかで、品がある「洋食おがた」にしかないナポリタンである。
気品を感じるながらも、どこかに、大衆的なうま味のたくましさも隠れていて、心を焚きつける。
こりゃあ、下町育ちの貴族のナポリタンである。
 
そして「炒め飯」も来た。
炒め油と塩分が程よく米一粒一粒にまとって、胃袋を掴む勢いがある。
だがこれもまたどこかに品がある。
上質なブイヨンだろうか。
キレよく深い旨みが潜んでいて、心を虜にさせるのだった。
 
最後は「オムライス」である。
なんと端正な姿だろう。
しかしここにデミグラスを照れんとかけてしまうのである。
艶やかなシワもなき肌に焦げ茶のソースをまとって、オムライスはどこか恥ずかしげでもある。
しばらく見惚れていたいが、そういうわけにもいかぬ。
スプーンで端を崩せば、薄赤く染まったご飯が顔を出す。
卵との境目は、半熟卵がご飯に寄りかかり、しっとりと濡れている。
その姿に顔を崩しながら、僕はスプーンをゆっくりと口に近づけた