我々は逃走していた。
二十分前からカーナビゲーションも機能していない。
周囲は原野、目ざすは番外地である。
目前では、生い茂った二メートル近いススキが海風にさらされ、我々を招き入れるかのようにおじぎをくり返している。
その中を、風花が陽の光を反射させながら舞う。
「おいほんとにこの方向でいいのか」。
「間違いねえ。したっけほら、見えてきたゾ灯台だ」。
友人が指指す先に、小さく灯台の頭が見えた。
ここに来ようと誘われたのは、夏だった。
「石狩の浜に鮭料理のうまい店があるって聞いたんだけども、今度来たときでもいってみねえか」。
「行く」。
即答して二ヵ月後、今日の佳き日を迎えた。
しかし石狩出身の彼さえも迷う場所だとは思わなかった。
とても飲食店があるような場所じゃない。
なにしろ灯台以外は建物すらなく、一本道が続くススキ野原と砂浜しかない。
「いやあ、灯台をめざしてくれば、すぐにわかるよ」。
電話に出た店主はいたって呑気に言い放ったが、いったいどこが。
我々は昼飯を逸する危機を脱すべく、懸命に目を凝らし、目標物を捜す。
だが無い。
焦りがじりじりと気持ちを追い立てる。
「おんやあ、あれ。あれでないか」。 友人が叫んだ。
かなたに赤茶けた屋根が微かに見える。
「見つけたぞ!」。
まるで秘境探検の如し。興奮が体を巡り、早くも唾液がせり上がってきた。
我々は、なんとか建物への道を探し出し、車を走らせる。
家はぽつねんと野原に佇んでいた。
海風のせいだろう、外壁は剥げ落ち、看板の文字は
かすれ、廃屋のようでもある。
人気もない。
「ごめんくださぁーい。 誰かいますかぁ」。
大声で叫んだが、声は風にかき消され、何事もなかったようにヒュウッと風が体をたたいた。
「ほんとにここでいいんだか」。
おじけづく友人を無視し、ひしげ、歪んだガラス戸に力を込めた。
ガラララッ。
ようやく扉が開くと、その音を聞きつけたか、家の奥から人のうごめく気配がする。
やがて作務衣を着こんだ、恰幅のいい初老の男性が現れた。
「いらっしゃい、よおういらっしゃいました」。
笑った目がやさしい。
ずっと来ることを待ち侘びていたような口調で、久しぶりに親
戚の家を訪ねた子供たちのような気分である。
ご主人は、予約をした我々の名前を確認しようともしない。
約束の時間に遅れた詫びをしたが、気にする素振りもない。
それもそのはず、40畳貼ろうかという大広間に、客は我々2人だけだった。
「灯台目指してくりゃ、すぐにわかったでしょう」。
茶を運んできたご主人がにこやかに微笑む。
「ええ」。
ご主人の安楽な態度に呑まれて、先ほどまでの苦労なぞ、どうでもよくなってきた。
「さっ、これがメニューね。きょうはほら、そこの浜で穫れたいい鮭入ってっから、どれもおいしいよお。さっどれにする?」
「よしっ。ここは一番高い九千円コースでいこうかな」。
するとご主人、
「いやぁ、六千円で十分。もし途中で足んなくなったら、追加すりゃいいんだから」と、一方的に値下げし、さっさっと厨房に引っ込んでしまった。
ガタガタッ。
ヒュヒュウッ。
窓ガラスにあたる海風の音が、二人だけの大広間に寂しく響く。
コンコンコンッ。
やがてそこに包丁の音が加わった。
二人はまだそれが、これから始まる目眩く饗宴の序奏だとは知らなかった……。
続く。