金沢「片折」

足さない勇気。

食べ歩き ,

引き算の料理という表現がある。
言葉のニュアンス的には、灰汁や汚れを引くというよりも、今まで足していたものから無駄なものを引いていくという考えがある。
しかし料理には、足し算と掛け算はあるものの、引き算はないと思うのである。
ある優れた料理人もこう言われていた。「料理には引き算はないと思うのです。どこまで足すか。どこまで掛け合わせるかを、真剣に考える。足しすぎると良くない。その加減をどこにするかが難しい。足すが足しすぎない。その境界を見極める勇気と眼力が大事だと思います」。
「片折」の料理を食べて、そのことを思い出した。
例えばこの「一塩甘鯛」の料理である。
上にはたたき蕨と花生姜の甘酢漬けが乗っている。
甘鯛はそれだけで、品がありおいしい。
だが言われたままに、たたきわらびを乗せて一緒に食べてみる。
するとどうだろう。
ヌルッとした食感と山の味が加わったことで、甘鯛の色気が増すではないか。
その色気を生姜の甘酢が、少し引き締める。
目を閉じれば、海藻野中を悠然と泳ぐ甘鯛の姿が見えてくる。
甘鯛とたたき蕨の出会いは、片折さんの発案ではなく、古い仕事である。
だが今は誰もやらない。
おそらく甘鯛の素の良さだけを出すことは面白くない。
そう考えた昔の料理人の矜持が産んだものだろう。
その精神が、片折さんに受け継がれている。
例えばこの、白海老のあられ揚げとアスパラの炭火焼にも、そのことが受け継がれている。
つたない甘さと食感の白えびとカリッとしたアラレ衣の対比が、なんとも切ない。
アスパラは、その白えびを食べて、一旦リフレッシュさせるためにある。
だがなぜか穂先がついていない。
おそらく香りが強すぎて、甘エビの印象を薄めるからだろう。
また焼いたノドグロの下に潜んだ、淡い三杯酢的な味で浸されたキャベツの千切りもそうである。
キャベツのほのかな甘みとみずみずしさ、そして下地の酸味が、ノドグロの勢いをいなして品良くさせる。
すべての料理に、そんな美学が潜んでいて、心を動かすのである。