豆が生きている。

食べ歩き ,

豆腐が生きている。
いや豆が生きている。
その飛龍頭は、箸をふわりと抱き込んで、すうっと千切れたかと思うと、白い肌を見せた。
甘い湯気に包まれながら口に運べば、豆腐が優しく笑う。
豆腐の豆腐たる甘みがあり、豆腐の豆腐たる舌触りがある。
潰され、まとめられ、揚げられているというのに、まだ豆腐のみずみずしさを残し、生の豆腐よりぐんと甘い。
これに比べれば、世の飛龍頭は、豆腐のミイラといってもいい。
入れられた、穴子やユリ根、キクラゲ、煮椎茸の、味や大きさや食感にもすべて、精妙に行き届いた意味があり、豆腐の純真を盛り立てる。
優れた料理は、どんなものでも勢いがある。
命の発露がある。
割烹では出されることは少なく、居酒屋でしか見かけなくなってしまった飛龍頭だが、こういう地味なものにこそ、料理の真髄は宿るのではなかろうか。
「祇園浜作 本店」にて。