タリアッテレは、噛むまでもなく、姿を消した。
生きているかのように、軽やかに舞い、舌や上顎の粘膜を撫で、ふわりと消えていく。
その優美な食感と、ぬめりとしたポルチーニの笠の食感が抱き合う時料理は色気となって、胸を焦らす。
こんなパスタは、「base」以外では食べたことがない。
次はピーチである。
卵が入らず、うどんとよく似たパスタである。
しかしそのピーチは、今まで出会ったどのピーチとも違った。
存在感はある。
存在感はあるのに、噛もうとすると、大気になる。
幻になる。
秋刀魚とアンチョビに、トマトとフォアグラのパウダーをまといながら、するりと消えていく。
今のは夢だったのか。
そう思わせてまた、フォークを動かす。
最後はラビオリである。
マスカルポーネと牛肉赤ワイン煮の二種類の具を詰めた、ドッピオのラビオリである。
これはチーズと牛肉に、やさしく、いたわるようにかぶせられた、天女の羽衣であった。
そっと噛めば、パスタは消えて、チーズと牛肉が舌に流れる。
甘美な時間が静かに流れていく。
これこそがパスタ職人が作る生パスタのだろう。
中本シェフは、三ツ星の「エノテカピンキオーリ」で三年間パスタ職人をつとめたのだという。
プリモピアットといっても重くしてはいけない。
お腹が膨れぬように、パスタの魅力はありつつ軽くなくてはいけない。
その正道から生まれたパスタなのである。
「極力グルテンを出さないよう、練りません。しかしそれだとパサパサになってしまう。だから1日寝かせて、そっと整形します」。
シェフは、赤子を触るような手つきで、空気を含むように、繊細に伸していく。
パスタを食べるだけのために、旅に出る。
そんな価値のある店が、京都は木津にある。
京都「リストランテナカモト」。
京都「リストランテナカモト」
生きているパスタ。
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