東京にもこんな中華はありますか? <京都の平生>54

食べ歩き ,

「東京にもこんなような中華はありますか?」
そう聞かれて、言葉が詰まった。
東京に町中華は数多くあるが、突き抜けた店がないからである。(かつての「よし町」がそれだったが)
食べていて浮かんだ言葉は、「分をわきまえられている」であった。
自分の立ち位置が明確にわかっていて、最上の仕事がなされている。
本格中国料理ではない、日本で育まれた料理の意味を深く理解して、料理がなされている。
「冷八宝」は、細く同寸同幅に切り揃えられた具たちが口の中で軽快なリズムを刻み、鳥の唐揚げは、そのサイズがよく、衣は固すぎることも柔らか過ぎることもなく、ふんわりさくりと弾ける。
肉野菜炒めは、うっすらとした醤油の旨味が心憎く、肉団子は、カリリッと揚げられながら、中はふわりとしなやかに崩れて、肉の旨味をこぼれさせる。
酢豚は豚肉の硬さがほどよく、噛む喜びと甘酢のうまみを同時に味わう楽しみがあり、かに玉は、しっかりと少し焦げるほど焼かれながら、中はふんわりとして卵の甘みに満ちている。
そしてチャーハンは、醤油の香ばしさを身につけた米一粒一粒が自立して、舌の上で舞う。
徹底的に水分を抜かれた具も素晴らしく、焼き飯とはこうであるべしという理想の味わいで輝いている。
すべて量がほどよく、淡い味ながらも中華のダイナミズムも忍ばせている。
だからこそ、これだけの料理を3人でも軽くいただけるのであった。
ああ、つくづく京都の人たちが羨ましい。