食べれば食べるほど、野菜と同化して心が座っていく。

食べ歩き ,

昨夜は不思議な体験をした。
食べれば食べるほど、野菜と同化して心が座っていく。
自ら土に埋もれて消えていくような感じがしたのである。
「Bar Tarutine」。
Barと名乗っていてもBarではない。
昼はパン屋で、夜はレストランという店である。
例えば「燻製したジャガイモに黒ニンニクを添えて」を食べると、あのジャガイモのほっこりというより、芋と土を食べている感覚なのである。
少し戸惑うが、食べているうちに優しい気持ちになってくる。
いやジャガイモの本来とは、こんな味ではなかったのかと思い始める。
鮭の料理は、グリーンチリの出汁と舞茸を加えた中で、鮭を茹でているらしい。そしてツル菜のようなぬめりのある青菜がドサッリと入っている。
鮭は半生で、スープは、辛味とほのかなうま味と微かな酸味を持っていて、そこの青菜を加えて食べていくと、海でもない、草原でも大地でもない、妙なありがたみが湧いてくる。
地球。
といってしまえばたやすいかも知れないが、うま味を求めるのではない、静かで大いなる脈動が流れている。
鶏肉とトマト、白インゲン豆、ギリシャ風ニンニク風味のマッシュポテトの三者が、それぞれの持ち味を生かしながら突出していない。
また、互いを持ち上げようではなく、あるがままに馴染んでいる。
そしてここにも、複雑なうま味と微かな酸味。
後から聞けば、すべての料理に、様々な自家製発酵調味料が使われているのだとか。
ボッタルガをかけた杏茸をライ麦パンに載せた皿も、そのどれもが出ようとせに、大地に戻る。
一つだけ確かなことは、ここには未来の種が埋まっていることである。