今月も各地を食べ歩いた。鹿児島「山映」、「名山きみや」。弥生台「ペタル・ド・サクラ」、静岡「成生」など、東京では食べることの叶わない料理に心が揺さぶられる。
いずれも、各土地の恵みへの敬意と郷土料理への深い理解がありながらも、新しい料理を生み出そうという覚悟がある。
そういう意味では、日本の牛を使い、イタリア伝統料理である「ビステッカ」の至高を目指そうとしている、「ヴァッカロッサ」の渡邊シェフも、同等の料理哲学に燃えていると言えよう。
基本は、ビステッカ・アッラ・フィオレンティーナである。
渡邊シェフは、この料理に惹かれ、南トスカーナ、キアーナ渓谷が始まる村にある「ラ・モゥーザ」で、三年間毎日肉を焼いて帰国した。
今でもキアーナ牛などヨーロッパの牛や、各地の黒毛和牛や短角牛も使う。
しかし「キアーナ牛より、確実にうまいと思います」と、目を輝かすのが、土佐赤牛である。
ガリッ。
歯は岩塩に当り、肉にめり込んでいく。
奥歯で噛みしめれば、赤牛のエキスが、あふれ出る。
筋繊維が細く密であるため、脂に頼ることなき筋肉の凛々しさが、津波となって押し寄せる。
肉汁に甘えがなく、鉄分と勇壮な牛の滋味が、舌の上で渦を巻く。
噛めば噛むほどに命の雄叫びが響き、僕らを圧倒する。
表面は、黒に近い焦げ茶色に覆われているが、これは焦げではない。
薪の熾火による高温の炉で、30分かけて焼かれるうちに、50回くらい返し返して焼き上げていった色が重なって、そう見える。
つまり0.1mmほどの淡茶色が何層も重なって、濃い焼き色を見せているのである。
「薄い焼き色はうま味が強く、濃い焼き色はコクと深みがある」というシェフは、肉質や種類によって、焼き色を焼き分ける。
さらには、赤牛は楢、黒毛は樫、短角は櫟と、肉種によって、薪を変える。
なぜならそれぞれ木の密度が違い、脂が落ちた時の火力の低下が異なるからである。
「表面が乾いてしまうと、繊維質が口や歯についてしまう。グッとストレートに歯が入っていくように焼きます。脱水も収縮もさせずに、肉のフレッシュ感を味わうのがビステッカの醍醐味です」という。
「僕のやり方は二者択一です」というように、どの方法がいいか、数え切れないほど試行錯誤を繰り返してきた結実である。
肉食先進国のイタリアで生まれた、優れた肉焼きの技術を、日本人のシェフが習得し、日本の牛を使ってイタリアで食べるより、最大限のうまさを膨らます。
「十勝のブラウンスイスが素晴らしいです」、帰り際にシェフが嬉しそうにいわれた。
その言葉を聞いて思う。
ああ、日本に生まれてよかったと。