新橋「趙楊」

新橋「趙楊」

いつかその日は来る。
そう思っていたが、悲しい知らせが入ってきた。
新橋「趙楊」さんが閉店されるという。
以前からお身体が悪かったのは知っていたが、現在闘病中で、これ以上続けるのは無理と判断されたという。
趙楊さんとの思い出は数多くある。
一緒に成都に旅をした時のこと。
野菜、豚肉、発酵、ウリ科、宮廷料理、きのこ、精進、川魚、冬の野菜、鍋、豆腐、鄧小平の好物料理、豆など、毎月、テーマを設けて食事会をしてくれたこと。
特別な料理を出す時いつも言うのは
「これ古い料理。今誰もも作らない。大変ね。にとどやりたくないほど、大変ね」。
無理して頼み、炒飯を五種類作ってもらったこと。
餃子のような皮を、麺棒を使わずに、手のひらだけで瞬く間に作ってしまったこと。
FBに四川料理のことを書くと、いつもコメントをくれたこと。
四川料理の酸味の使い方を聞いたら、長文をいただいたこと
家庭料理の会と豚肉の会の時、全員が、コースの半分くらいでお腹がはちきれそうになったこと。
無理してお願いし、麻婆豆腐を六種類作ってもらい、そのどれもが壮絶だったこと。
趙揚さんの生い立ちを聞き、それを味の手帖で書いたこと(今度FBにも記します)。
そして僕の還暦の会で、麻婆豆腐を作ってくれたこと。
あの数多くの料理はもう食べることは叶わない。
20歳で1級厨士になり、24歳という若さで国賓を招く「金牛賓館」の料理長となった天才は、レパートリーの数が8000種類以上あり、そのすべてが頭の中に入っていた。
鄧小平、パパブッシュ、オーストリア首相に料理を作ってきた人である。
日本でいえば、迎賓館で行われる天皇御出席の晩餐会の料理長を、24歳で任されるようなものである。
こんな人はもう、中国でも出てこない。
すでに中国では食べることが叶わない、古典四川料理を、瞬く間に作り、それを食べに、勉強をしに、中国から料理人が何人も来ていた。
無念である。
「趙楊」という日本、いや世界の財産がまたひとつ消えてしまうことが無念である。
趙楊さん、ゆっくり静養なさってください。
お身体を治してください。
そしてまた、あのはにかむような笑顔を見せてください。