「料理とは、常に変化していく、一過性のアートなのです」ミッシェル・トロワグロは言う。
人生はとどまらない。
思考は、多くの出会いや教えによって変容する。
昨夜は、キュイジーヌ[s] ミッシェル・トロワグロの10周年特別ディナーが行われた。
来日した、ミッシェル・トロワグロシェフ、
ギョーム・ブラカパルシェフ、パティシエの
ミケーレ・アッパデマルコシェフに加えて、初代シェフの「エスキス」リオネル・ベカシェフ、アジア人として初めて本店のチーフパティシエを務めた後藤シェフが参加しての豪華な饗宴である。
前菜の一つ、蛤の料理を口にすると、下の歯が半生に加熱された蛤の身体にめり込み、乳色の滋味が流れ出す。
続いてトリュフの香りが現れて、蛤を抱きしめ、茸の香りや昆布のうま味、酒の甘みが寄り添って、味わいを静かに盛り上げる。
エレガンスをまとった蛤が、愛おしい。
覆い被さったジェリーやムースは、シェフたちの蛤に対する慈愛だ。
大切な海の恵みに対する、シェフたちの感謝だ。
だからこそ我々心にも、しとしとと染み込んで、愛おしさが伝染する。
またラングスティーヌは、赤ワインとベリー、エビのフォンによるソースと合わせることによって、優しい甘みの中に潜む妖艶な体液を引き出す。
この妖艶さは、生に対するたくましさからから生まれ出るのだろう。
優しさとは、たくましさが根底にあってこそ、発揮されるのだよ。そう教えてくれる。
それぞれの経験や移りゆく人生を、食材への敬意に投影する。
それによって料理は、軽くも深くもなり、化粧を濃くしたり、削ぎ落とされもし、刻々と変わり、深化していく。
だから料理は面白い。