愛に満ちた優しさは、静かでありながら、心の底に深い記憶を残す。
真の上海料理は、そんな気配を持って、僕らを魅了した。
「正宗上海料理を作っていただけませんか?」
脇屋さんは満面の笑みを浮かべて、「いいですねえ」と、言葉を弾ませてくれた。
前菜からして、素朴ながらしみじみとうまい皿が並ぶ。
鴨に見立てて湯葉で筍や椎茸を巻いて、ゆっくりと煮付けた「素鴨」は、味わいが穏やかで、じっとりと味が舌に広がっていく。
鳥のスープでそら豆を茹でて、オタマの底で潰して、そのまま鳥のゼラチン質と豆の力で固めた「豆板羹」は、噛んだ瞬間にほろりと崩れ、そら豆の甘い香りが鼻に抜けて、顔が崩れる。
筍を、ザーサイと干しエビの塩気で炒めた料理は、その塩気が精妙で、筍の拙い甘みを伝えくる。
烤麸は、よく出会うゴワゴワとした食感ではなく、ふわりと柔らかく、噛めば椎茸のうま味を伴った煮汁がちゅるると滲み出て、心をくすぐる。
酔っ払い鶏は、ああ、なんと優しいのだろう。淡い淡い味付けで、紹興酒と鶏肉の滋味が自然に抱き合った、いつまでも舌の上にいてほしいと願う、不思議がある。
そして牛肉のエキスをそのまま固めた品格が漂う、煮こごりに押し黙る。
戻し、味付けなしで煮込んだ鱧の塩漬けは、酒を呼ぶ。
「薫魚」は鯉の角切りを、八角、肉桂、陳皮、山椒を入れた煮汁を煮立てた熱々の汁に漬け込んだ料理である。
真っ黒な醤油色ながら、その味は表面だけで、複雑な香りを広げながら、鯉が「どうですか?」と尋ねるように、穏やかな甘みを広げていく。
これが、後10皿が続く上海料理の、ほんの幕開けである。
赤坂・臥龍居にて。
愛に満ちた優しさは
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