銀座「エスキス」

土と海の素朴な豊穣

食べ歩き ,

「日本人がなぜアワビを喜ぶのか、理解ができなかった」。
長い間そう思っていたというリオネルシェフが、初めて作った料理である。
焦げ茶色のヴェールを被ったアワビを、大きく切る。
口にゆっくりと運ぶ。
噛む。
その瞬間、アワビのたくましい生命力が滴り落ちた。
根セロリの土の香りをまとって、アワビは内に秘めた肉体美を誇る。
岩に張り付きながら、旺盛に餌を食べるアワビの野生がそこにはあった。
しかしその野生は粗野ではない。
自然が育んだ美が流れていて、そよそよと滋味が流れていく。
静かなうまみが味覚を目覚めさせ、甘やかな香りが鼻腔を誘惑する。
野生を伴ったエレガントである。
いや、シェフが真の野生を引き出したからこそ生まれたエレガントである。
「アワビは、うまみも香りも弱い。それなのになぜ日本人は熱狂するのか疑問だった。だが日本を理解するためにも、料理にしなくてはいけない。アワビが岩にしがみつく強靭な筋肉を生かしたい。そのために昆布出汁でマリネしたアワビをソテーし、根セロリを加えてアロゼしながら、キャラメリゼしました」。
ソースはない。
上に、セロリの葉と細切り昆布、トマトコンフィがのせてある。
昆布出汁でマリネというと、うまみを膨らませるためだと思うが、この料理は違う。
うまみを加えるためではなく、海にいた状態にアワビを戻して、リラックスさせるためではないか。
だからだろう。
ここにあるのは土と海の、素朴な豊穣だけである。
豊満でいながらデリケートなアワビに、心が翻弄される。
この料理に若林さんが合わせたのは、赤ワインだった。
コートロティである。
酸が綺麗で、スミレや胡椒香はあるものの、奥底にヨード香があって、それがアワビの滋味と溶け合い、色香を灯すのだった。