「牧元さん、どこかに書いてもらってもいいけど、もうひらめはやらないことにしたんだ」。
「えっ?….。」
思わずコトバを失った。
もう一生、あのひらめの昆布締めに出会うことはない。
切ない。あまりにも切ない。
日本の食文化、いや国家的損失と言ってもいい。
「思うようなひらめが,入らなくなったからですか?」
「それもあるけど、もう気力が続かなくてね。仕入れたヒラメに合わせて仕事をする気力がね,もうない。あの作り方はね、他とは全然違うんだ、ほっとけないんだよ。昆布もヒラメもね同じじゃないし、このままじゃ死んだ親父に怒られる。だからきっぱりやめた。金輪際作らない」。
ヒラメの昆布締めである。
この料理に,どれほどの気力が必要だというのか。
元々この店の凄みを知ったのは,ヒラメの昆布締めだった。
一年中あるのだが,ヒラメの旬が変わっても、味が一切変わらない。
これがどれだけ大変なことか,料理をやっている人ならわかるだろう。
しかも毎回、微妙に厚さや切り方が違う。
写真を見てもわかるように、1枚目のヒラメは飴色で旨味が強いか、2枚目のヒラメは白に近い。
しかし味は変わらない。
おそらく締める時間や、昆布の置き方、塩の量、切り方を変えて、口の中咀嚼して生まれる旨味を計算しているおだろう。
浅くも深くもない昆布締めは、この料理の意味を教えてくれた。
噛むと,昆布の旨みがうっすらと漂い、ヒラメは噛むごとに、上品なあまみを膨らませる。
そこへすかさず燗酒を合わせれば,体中に幸せが満ちていった。
「ウチは昆布で挟むけど、他とはまったく違うやり方だからね」。
その昆布を佃煮した,裏メニューがまた恐ろしかった。
口に運べば、ご飯が恋しくなるが,噛み締めて目をつぶると、ヒラメの風味がそっと舌に流れてくる。
あの味付けにも,料理の深遠を教わった。
「レシピはない。いやたとえあったとしても誰もできない。20年くらい料理をやったやつが、そばで1ヶ月仕事を見てもらってもいいけどね」。
すると女将さんが、ぼそりと言われた。
「あの料理は,時間がかかるからね」。
全人生をかけて,心血を注ぎ続けたヒラメの昆布締めは、もう誰も食べることが叶わない。
荒木町「たまる」にて。