京都Guu

可憐に秘められし斬新。

食べ歩き ,

ウサギをかたどった蝦餃は、胡麻油に頼ることなく、海老のおだやかな甘味と香りだけで自立している。
だから一口含んだ途端に、笑顔となる。
となりの小籠包の皮は、作りたてだから、皮があるのに皮がない。
口に入れれば、歯にも舌にも皮は触れずに消えてしまう。
その儚さとスープのふくよかな味のたいひに、恋をする。
次の三つの点心は、白鳥が従えていた。
左は大根餅ならぬ、聖護院蕪餅。
蕪の柔らかい甘みが滲み出て、気分が優しくなる。
さらに白鳥は、大根バイである。
ジャガイモを少し加えた生地が香ばしい。
パリパリとパイが崩れると、とろりとなった大根の甘さが顔を出し、そこへブルーチーズの練れた塩気とりんごの甘酢っばさが、少し刺してひきしめる。
その量のバランスが、これ以上も以下もなきバランスで美しい。
右の挽肉を包み込んだ揚げ餅は、歯が熱々の生地に足が強と包み込まれると、挽肉の旨みが飛び出し、それを持ち上げるように、脂の香りとコクが追いかける。極微量入れたフォアグラが、食欲を掻き立てるのだった。
スタートの点心からこれだもの。ますますお腹が空いていく。