30年もの切り干し大根は危険である。
台湾に行かれた方は、10年や20年ものの老菜脯(切り干し大根)を使った老菜脯鶏湯のしみじみとした美味しさを、経験された方もあろう。
「スープは飲まれているとおもいまして」と、台湾帰りの水岡さんが作ってくれたのは、前菜と炒飯である。
前菜には、茹でたタコに、老菜脯と鉄観音の茶葉などを混ぜて合わせて作った料理が出された。
酸味、塩気、香り、旨味が、すべて熟れ、錬れている。
複雑な風味が混沌として、淡いタコにまとわりつき、舌を翻弄する。
そしてどうにもこうにも、酒を恋しくさせるのであった。
一方炒飯もいけません。
老菜脯、からすみ、茎芋などを細かく切って炒め合わせた、炒飯である。
年代物の梅干しににも似た、老菜脯の塩気と酸味は、時の流れの中でじっくりと成熟したものだけが持ちうる気品と風格があって、この世のものと思えぬ不思議を宿している。
つまり平成元年の切り干し大根であり、まだ東ドイツがあった時代であり、ソウル・オリンピックが開催され、鈴木大地やセルゲイ・ブブカ、カール・ルイス、マット・ビオンディ、ジョイナーの金メダルを、本放送が開始したばかりのNHKBS1や2で熱心に見ていた時代から、ずっと眠り続けた大根の味なのである。
深淵が見えないほど、旨味が深い。
地平線よりも、酸味と塩気が丸い。
それでいて奥底に、一筋縄でいかないクセが隠れている。
だからタチが悪いのである。
もう満腹で、「一口だけ」と食べたのに、気がつけば何杯もお代わりしてしまっている。
こうして一同ニコニコとしながら、旨味の底に落ちていくのであった。
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