青山「ラチュレ 」

卯年にウサギ

食べ歩き ,

卯年にウサギを食べる。
そう決めていたので、去年室田シェフに聞いた。
「リエーブルは1月末ごろだったらできます」と、力強い言葉が返ってきた。
そこで先日「リエーブル・アラ・ロワイヤル」と、ご対面したのである。
皿の中央に、野ウサギ様は鎮座されていた。
フォアグラを抱きしめ、トリュフを乗せて、丸くまとめられている。
皿の上に顔を出し、香りを嗅いだ。
「ああ」。
途端に言葉にならない呻きが漏れる。
一ヶ月半フェザンタージュしたという野ウサギから、甘やかな野生の香りが漂って来る。
それは、普段嗅いだことのない、森の奥に潜む秘めやかさである。
香りは、トリュフ香と抱き合い、艶めき、隠微な香りとなって、官能をくすぐる。
8時間煮られて、血とワインと肝とフォアグラの脂とリエーブルの肉体が生み出す滋味が交じり合ったソースは、口内の粘膜をたぶらかし、どこまでも深淵で、滑らかで、丸い。
歯の悪い(もしくは歯のない)王族たちのために考えられた古典料理は、柔らかい。
噛めば、一瞬にして野ウサギの繊維が解けて舌の上に広がるが、その細い一本一本に、生命の躍動がある。
不思議なことに、加熱したマグロのような香りもあって、我々を惑わしながら喉へと落ちていく。
今度は口から消える前に、コートロティを含んでみる。
はあ。
また吐息が漏れた。
ワインと出会った肉とソースが、艶を帯びて高揚する。
食べ進むごとに、体に力がみなぎり、興奮していく感覚がある一方で、ウサギに気力を奪われていくような、生命力も感じる。
死して長時間料理されてもなお、子孫を残すべきと懸命に生きてきた宿命が伝わって来る。
ガルニは、焦げるまで焼いた自家菜園のビーツ。
その土臭さと焦げた香りが野ウサギの香りと共鳴して、僕らを野に解き放つ。
そして古典の品格と重厚を保ちながら、繊細でしなやかな表情も見せた、室田シェフの仕事に深々に感謝した。
実はその日は「ダブル主菜だった」
片方は鳥類である。
今の時期しか出会えぬ、クラシックな料理である。
その話は後日。