私が知る限り、ここまで勇気と素直を兼ね備えた、若い日本料理人はいない。
例えば、煮物椀である。
今の時期なら松茸や鱧などがよく見かける、椀種である。
蓋を開けると、2匹の小さな魚が並んでいた。
鵜川のまだ小さいししゃもを開いて軽く干し、ぶなしめじを添えたのだという。
なんと質素なお椀だろう。
飲めば、塩は淡い。
だがししゃもから次第に塩味が滲み出て、ほどの良い塩梅となっていく。
たのだという
幼いししゃもは大人のそれとは違い、えぐみや脂の強さもなく、しなやかな甘みでつゆと馴染む。
「はあ〜」。
思わず満足のため息がまろびでた。
例えば「揚げ浸し」である。
目の前で作り上げる板前割烹を代表する料理は、ギンポウが揚げられ、熱々の餡がかけられていた。
通常なら一番出汁に味付けした餡をかける。
ところが出汁は使わずに、ポルチーニの生と干したものの出汁の餡をかけ、ゆずと生のブラウンマッシュルームを添えてある。
出汁や酒、醤油ではなく、自然にあるもののうまみが、ギンポウを包み込む。
出汁だと消えてしまいがちな、皮下コラーゲンがうまみが茸の甘みと、色っぽく抱き合う。
この魚の繊細でいながら実はたくましい旨味が、くっきりと浮かび上がっり、舌を打つ。
海の母である、里山との結びつきが見えてくる。
自然に寄り添い、うまくしすぎない。
松倉和明氏32歳の料理である。