凛子は笑わない。
滅多に笑顔を見せない。
だがまれに、笑うときがある。
それはおいしいものを食べたときだった。
「おいしい」と、囁いて、口元が緩む。
でもそれは、窓に鳥影が射しては消えるような、かすかな痕跡だった。
僕は、この一瞬が見たくて、彼女と付き合っているのかもしれない。
今度の連休は、凛子と奈良にいこうと考えていた。
奈良の五位堂にある別荘で、ゆったりと過ごすのである。
おいしいものを目一杯食べよう。
すでに管理人のすずには電話しておいたから、冷蔵庫には奈良のたくましい野菜と魚介類や肉で満載のはずだろう。
大阪出張だった凛子に合わせ、大阪の焼き鳥屋で待ち合わせた。
夕刻、福島の「あやむ屋」に向かうと、すでに彼女は一人ぽつねんと座っていた。
「お待たせ」。
「こんばんは」。
凛子が僕に微笑みかけようとしている。
でも顔は緩まない。
ここの焼き鳥は大阪一、いや西日本一である。
焼き方が見事で、鶏が生き生きと口の中で爆ぜる。
凛子の口元が少し緩んできた。
僕は見ないふりしながら、
「うん、うまい!」と、店主に向かって叫ぶ。
ワインが二本開いた。
凛子の目がとろりと緩む。
でもまだ笑みは訪れない。
最後の一品、純バスク豚の塊が出た。
一口噛むや、肉汁が溢れ、舌の上でのたうった。
「うーん」。
うなることしかできない、圧倒感である。
その瞬間。
「うまいっ」と、叫ぶ声が聞こえ、
満面の笑みを浮かべた凛子が、僕の肩をポーンと叩いた。
僕は、驚いた顔を見せ、 焼き鳥を焼いていた店主は、ふりかえって、うれしそうな笑顔を見せた。
以下次号