今月の次郎

食べ歩き ,

今月の次郎
「今年は違う。10年前みたいです」。
小野禎一さんが言われた.
イワシがある。鮑がある。鰹がある。
ここ近年だと、イワシは8月に入らないとない。
鮑も少し早く、鰹も同様である。
しかも今年は裏年であるはずの鳥貝も、豊富だという。
コロナで出荷量が減り変化したのか?
あるいは自然の気まぐれか?
イワシは、変わらず素晴らしい。
上身の中心部だけを握ったそれは、繊維など一切なきかのようになめらかで、上品な脂が舌に広がって、うっとりとさせる。
鮑は、目の前で握ろうとする瞬間から、香りが立ち込めて、その甘やかな香りに、心が溶けていく。
鰹は、口を開けた途端に燻った香りが飛び込み、噛めばなんともしなやかで、鉄分の勇壮な香りと脂の誘惑が波を打つ。
「よそのは、濡れた新聞紙を噛んでるようで、ちっとも美味しくない」と、二郎さんが冗談混じりで言う鳥貝は、分厚く、艶々として、舌と絡み合うように悶え、喉に落ちゆく刹那、メロンに似た甘い香りを開く。
おかわりは、イワシとスミイカにした。
この時期のスミイカは、スパッとイナセに歯が入っていく食感の中に、つたない柔らかさが微かにある。
それがなんとも切ない。
その弱々しい切なさに目を細めていると、柔らかな甘みが現れ、最後に酢飯の凛々しい酸味が、舌と鼻を突く。
この優しさから強さに転じる一瞬に、惚れてしまう。
それはまさしく、次郎だけの体験なのである。