一生食べられない

3年先まで予約は埋まり、それから先は、予約を取らないという。
ということは、もう誰も、一生食べられないじゃないか。
だがその原因を作ったのは、僕である。
店との付き合いは。40年になる。
確かビックコミックだったと思う。
40年前に冷やし中華のうまい店として紹介されていた。
昼に行くと、夫婦でやられている店で、冷やし中華やラーメン、餃子に酢豚といった、いわゆる街中華だった。
次は、夜に行った。
餃子とビールから始まり、一品料理を取った時、ふとホワイトボードに書かれたメニューに目が止まった。
「皮蛋豆腐」、「牛舌とセロリの和え物」。普通のラーメン屋なのに珍しいものがあるなあと頼んだら、味のキレがいい。ネギの微塵やセロリの切り方が微細で、実に丁寧である。
一気にはまって通うことになると、ホワイトボードのメニューは増えていき、中国料理だけでなく、タイ風やベトナム風など増えて行くではないか。
しかも行くたびに本日のおすすめが変わる。
かなり通ったが、一度として餃子以外に同じメニューに出会ったことがなかった。
葉の香りを生かした「春菊と鳥の白和え」
鴨の肉汁が迫る「カモ肉ロースとの冷製」
精妙な引き算の味付けで、切れがいい「豚耳の辛油和え」
思わずご飯がほしくなる 「チンゲンツァイの蝦醤炒め」
むっちりとした甘い身に顔がほころぶ 「レンコン肉詰め炒め」
甘く穏やかな味わいにうっとりとなる「蒸し豆腐」
火の通しの見事さと肉の香りに引き込まれて、酒が進む「子羊の炒め」
「蝦醤鶏」「茸と野菜のスープ」、「ニラうどん」、「高野豆腐ゴマだれかけ」、「もやし炒め」、「もやし焼きそば」、「大根餅」、「腸詰」、「牡蠣のソテー」、「ホタテの辛味炒め」不思議な「固焼きそば」「つぼみ菜のチュウニャン炒め」。
記憶に刻まれた多くの名品は、もう食べることは叶わない。
取材は一切受け付けない。
だが今から5年前に頼み込んで、ダンチュウの中国料理特集の巻頭に出ていただいた。
それから予約が殺到し、現在の状況となったわけである。
自分で自分の首をしめてしまった。
店は、今年45年を迎える。
荻窪で育ったご主人市村敦夫さんは、萬福や春木屋のようなラーメン屋がやりたかったのだという。
23歳の時に、ラーメン屋で修行しようとしたが、ことごとく断られ、「給料がなくても」という条件で内諾してくれたのが、陳建民氏の「四川飯店」だった。
そこで3年働き、1年間神保町「おけい」で餃子を学び、さらに中華街の「中華飯店」で働きながら、物件を探した。
場所探しにも苦労し、ようやく見つけたのが今の場所である。
当時は地下鉄も走っていない。陸の孤島である。
「この町は風が吹かないんだよね」と、市村さんがいうように、町に活気がない。お客さんがゼロという日が、何日も続いたという。
「えらいとこで店開いちゃったな」と思いながらも辛抱して数年、近くにあったフジテレビの朝ワイドショースタッフが、昼飯を食べに来てくれるようになった。
彼らは昼から酒を飲み、「何かつまみ作ってよ」といわれたので、皮蛋豆腐や麻婆春雨、牛舌とセロリの和え物などを作るようになっていた。
多くの客を惹きつける、自由闊達な料理の基礎は、お客のわがままになんとか応えようとした、ご主人の誠意から始まったのである。
だから料理は、あっさりとしていながら、余韻に伸びがある。
写真の、白菜の干し貝柱煮も、つぼみ菜の白和えも、食材にごまかされることなく真の美味しさをわかる人だけに届く味である。
気品がありながら、深く心に刺さる、味の芯がある。
数年前に聞いた言葉を思い出した
今一番面白いと思う料理は何ですか?
そう聞くと、「ホウレンソウ炒めかな」。
風の吹かない街で45年。多くの人に愛される料理を作ってきたご主人は、そういって静かに笑われた。
いつか彼の料理本を作りたいなあ
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