マイそば史1

食べ歩き ,

そばは新蕎麦より、数か月寝かせた方がいいね。

いやそれなら、蕎麦を打ってから二日間くらい寝かせたのはどうだい? 打ち立てに限るなんてえのは、古い考えだということがわかるよ。

産地は北海道もいいけど、宮崎の焼畑だね。いや、畑を持っているそば屋もいいね。

ならそば屋ならどこだい。東京のそば屋なら、中野坂上の「ら・すとらあだ」や巣鴨の「菊谷」、東十条の「一東庵」、神田の「眠庵」なんてとこがいいね。

いやいや、神楽坂の「東白庵かりべ」や荻窪の「高はし」、渋谷の「玉笑」や下北沢の「打心蕎庵」に行かなくちゃ。

都心ばかりじゃないぜ。小平の「吟」や立川「無庵」、東村山「土家」や保谷の「そばきり すずき」、八王子の「座忘」や武蔵五日市の「隻柿庵」といった、郊外のそば屋を攻めなきゃだめだよ。

そんなことを言うなら、長野の「ふじおか」や佐久の「職人館」、広島の「達磨」や篠山の「ろあん松田」、奈良の「玄」や静岡島田の「藪蕎麦宮本」、下呂「中佐」や宮崎の「しみず」、常陸太田市の「慈久庵」や山形村山の「あらきそば」を抑えておかなきゃ、そば通とは言えないね。

じゃあ、料理もうまくて、そばもうまいなんて店はどうだい。

それなら阿佐ヶ谷の「みや野」かな。新橋「ひろ作」や荻窪「有いち」もいい。赤坂「浅田」の塩蕎麦もいいし、日本橋「仁行」の極細喉ごしそばも、忘れちゃいけないねえ。

そば屋なら、神楽坂「蕎楽亭」も白金「三合庵」も、肴が充実していていいねえ。でも老舗も忘れちゃいけねえ。「神田やぶ」が休み中なのが残念だけど、赤坂「砂場」や浅草「並木藪」は、建て替えたけど昔の風情は残っていて、しっぽりと飲める。。

そう、そう。昼過ぎからそば屋で一杯なんてときは、日暮里の「川むら」もいいし、吉祥寺の「中清」も素晴らしい。

いいねえ。なら立ち食いなんてどうだい。こちとら立ち食いも好きでねえ。そばのうまさなら、大塚の「みとう庵」と京橋「恵や」かな。つゆのうまさなら、京橋の「そばよし」だろう。天ぷらなら、水道橋「とんがらし」が断トツだけど、日暮里の「おがわや」や、浅草橋の「きらくそば おがわ」と初台の「加賀屋」のかき揚げはいい。

渋谷駅の「しぶそば」、中野の「かさい」も忘れちゃいけねえ。代々木八幡の「八幡」や四ツ谷三丁目の「そば清」もいい店だねえ。

 

 

そば談義はつきない。そば好きが集まれば、店の話から、産地の話、食べ方の話、はては石臼で挽く速度まで話は及ぶ。

しかし昔はこんなにそば屋はなかった。自称そば通も少なかった。

ちなみに僕は昭和30年生まれである。多田鐡之助著「うまいもの」昭和29年刊には、「室町砂場」、「並木藪」、「連雀藪(神田藪・現在休店中)」、「さらしな(新宿・恐らく閉店、御苑前に同名店があるが別の店と思われる)、「よし田」(銀座)、「更科」(八重洲・閉店)、「上野更科」(閉店)の7軒が上げられている。

35年刊の「東京たべあるき」には、茅場町「尾張屋」、「連雀町藪」、京橋「藪伊豆」、銀座「永坂の更科」、浅草「三河屋」、神田「出雲そば」、神保町「地久庵」、日本橋「尾張屋」、「室町砂場」、駒込「長寿庵」、「池之端藪」、「上野更科」、神楽坂「海老屋」、麻布十番「永坂更科」、原宿「増田屋」の15軒が、紹介されている。

昭和38年刊の錚々たる食通4人が編んだ「東京うまい店200店」では、「神田藪蕎麦(このころから呼び名が変わったらしい)」、神田「一茶庵」、神田「出雲そば」、日本橋「利休庵」、京橋「藪伊豆」、銀座「おらがそば信州」、八重洲「さらしな八重洲店」、日本橋「砂場(室町)」、赤坂「梓」、麻布十番「永坂更科」、池袋「一房」、浅草「並木藪蕎麦」、池之端「連玉庵」の13軒が記されている。

江戸時代、居酒屋の役目も果たしていたそば屋は、後期の1860年には3763軒あったという。現在東京のそば屋早く6千軒。江戸後期の人口53万人と現在東京市の人口13,37万人で、単純計算すれば、現在は、約2千2百人に一軒、江戸後期は百四十人に一軒という、約20倍の店があった計算となる。

老舗は残りつつも、淘汰が繰り返され、戦後にまた増加してといっても、昭和30~40年頃は、うまいとされるそば屋は20軒くらいだっただろう。

いまはざっと数えても、百二~三十軒はあろう。誰でも、自家製粉、挽きたて、延したて、打ち立てのそばを味わえる時代である。

僕のそばデビューは、小学校三年時に食べた、中野の祖父宅自前にある「巴屋」の出前である。当時は、乾麺など出回っていなかった時代であるから、こうした出前がそばのデビューとなっていた。

「巴屋」は、家族経営のいわゆる街のそば屋で、いつも頼むのは、ざるそばであった。

母や祖母は、カレーうどんやおかめ蕎麦などを頼み、父はかつ丼などを頼んでいたが、自分はいつもざるそば一筋であった。

家から歩いて1分もかからない店だが、出前の宿命によって当然ながら伸びている。箸で持ち上げようとすると、そば同士がくっついて一緒になっている。そいつをつゆにどぶんとつけてほぐし、ずるずると手繰るのが、なによりおいしかった。

今思えば、そばの香りなどなく、もちっとして、つゆの味と海苔の香りしかしないざるそばだったが、出前という非日常がときめかせ、なによりのご馳走だった。

次に出会ったのが、軽井沢の「かぎもと屋」である。なにしろ出前しか食べたことがない小学生である。それは衝撃の味であった。

 

 

そばが、一本一本独立してつかむことができる。細い麺だけではなく、太い幅のやつも交じっている。それゆえに噛み応えがある。

つゆに大根おろしを入れる。そばの前に、キャベツと胡瓜のお新香が出る。そば屋で酒を飲んでいる大人がいる。ざるそばに、天ぷらがついてくる。

すべてが驚きの連続であり、これがそば外食のデビューなのである。そばとは、こんなに美味しいものだったのかと、目を丸くし、もう「巴屋」の出前には心許さないぞと、誓ったのであった。

今も「かぎもと屋」にはよく行く。今軽井沢には、もっと本格的なそば屋が数多く出来た。二八以上の配合のそばと、甘いそばつゆ、錬りわさびを出す「かぎもと屋」は、そば通とは無縁だろう。

しかし、太さが不揃いのシコッとしたそばと、甘いつゆを大根おろしで引き締めて食べるこの店の味わいは、どこにもない。幼少のころから染みついてきた軽井沢だけの味であるゆえに、こよなく愛している。

次に衝撃を受けたのが、釜飯で有名な「おぎのや」の、横川ドライブインである。

当時軽井沢へは、車で5時間ほどかかっていた。そのため途中で1~2回休憩する。中でも碓氷峠を登るぞという前に、「おぎのや」」によるのは定番であった。

「そばを食べようか」。そこで父は、いつも立ち食いそばを食べさせてくれた。初立ち食いである。立って食べるなと、普段から言われていたのに、ここはわざわざ立って食べる。

禁断を破る楽しさに、食べたことがない「かけそば」への好奇心と、長旅の空腹を癒す効果が加わり、これまたなんとおいしい食べ物が世の中にあるのかと思わせるのであった。

さらに月見そばである。かけそばに生卵を入れるという行為にコーフンし、黄身でつゆが甘くなる味わいに、恍惚すら感じた。

今軽井沢駅には、「荻の屋」の立ち食いそばがある。改築後に常設されたのである。

上信越道が出来てから、すっかりご無沙汰した月見そばと、ある日再会した。生緬で2分ほど茹で、鰹節の香りが立った熱々のつゆで仕立ててくれる。

細くしなやかな麺は、他の立ち食いとは違う優しさがあり、つゆのうまさと自然に寄り添っている。その味には、おぎのやの良心が詰まっていて、決して珍しさだけで子供心を熱くさせたのではないことを、語っていた。

以下次号