ヒレ肉は、あまりすき焼きにしない。
かつて九段上にヒレ肉専門のすき焼き屋があったが、今はない。
だが「人形町今半」で、ヒレ肉のすき焼きが出された。
肩ロース、ランボソ、ヒレというラインナップである。
ヒレはご覧の通り、少し厚く切られている。
それを一旦割り下でヅケにしてから、すき焼きにするのである。
脂が少ないヒレは、割り下が馴染みにくい。
そのためのヅケという仕事なのであった。
溶き卵に落とされたヒレ肉は、茶色の艶を輝かせて、早く食べろと誘いかける。
たまらず口にすれば、ふわりと肉に歯が抱かれ、割り下と同化した肉の滋味が舞う。
赤身肉の凛々しさとヒレ肉の品が、甘辛い割り下に溶け、心を疼かせる。
これからすき焼きはヒレ肉だねと言わせる魅力があった。
さらに今半は、肉だけではなく、ザクにも手抜きがない。
極細で歯ごたえが楽しい世界一のシラタキに、グルテンの力を高めた特注の安平麩に加え、野菜類も香りが高い。
さらにはうるいやウドといった春野菜が巧みに取り入れられて、季節への感謝がある。
最後の締めは、溶き卵と残った割り下をふわりとまとめあげたものをご飯に乗せて食べる「ふわたまご飯」となる。
普段はその甘みを、山椒粉で引き締めるが、先日はフキノトウ雨を刻んだものを混ぜ込んであった。
ここにもまた、季節ごとに訪れる喜びがあるのだった。
人形町「今半」にて