ネギ。

食べ歩き ,

 

ネギが嫌いな友人がいる。ほかに好き嫌いはないのに、葱だけがどうしても食べられない。

蕎麦、ラーメン、味噌汁の類からはすべてを抜いてもらい、焼き鳥のねぎまは言うに及ばず、チャーハンも食べない。一緒に居酒屋に行っても、煮込みや冷奴から悪を抜くもんだから、なんだか味がしまらない。

一度酔った勢いで食べたことがあるらしいが、その時の気持ち悪さは一生忘れないという。きっと彼の脳には、葱嫌い中枢なんぞがあるに違いない。

そんな彼が最近唯一食べられるようになった葱がある。

鍋に入った惹だ。

「かもねぎ」とはうまく言ったもんで、鴨鍋の鴨の旨味が溶けた汁の中で、とろとろになったはすこぶる旨い。ネギの嫌いな奴なんかに食べさせたくないほど旨い。

そんな鳴と葱の相性の中で、私のベストとして愛している鍋がある。 西荻窪「しやも重」の鳴すきである。

この店の手順はまず、火をつけた厚い鉄のすき鍋に、葱を間断なく敷き詰めるところから始まる。

油は引かない。

その上に合鴨を、間断なく載せる。そして待つ。ひたすら待つ。

ただそれだけである。

油を引かないので焦げないのだろうかと思うが、これが不思議と焦げない。ネギから水蒸気が立ち昇り、それによってされたからじわじわと脂が滴り落ち、鍋を満たし始めるからである。

 

かくして出来上がると、まずはほんのりとバラ色になった鴨肉をもみじおろしで食べる。

余分な脂が抜け、葱の香気にさらされた、弾むような肉は旨い。

その鴨肉下からは、鴨脂でトロトロになったネギが現れる。

これがたまらないのですね。

葱特有のオネバが甘く、濃厚な脂と一緒になって口の中でニュルッと溶け、最後には同席した者同士が、「ネギ、ネギッ!」とネギの取り合いになってしまう。

時、偶然その威力を発揮する。そんな肉の脇役と

 

日本書紀にも登場するネギは古来より、その香気の高さから「き」と一文字で表され、「根気」つまり生命の気として尊ばれていたそうだが、この鍋なぞまさ

に、その葱の気と、鴨の生気が行きして出来上がった、素晴らしき料理ではないだろうか。

 

同じように、鶏との相性を実感さるのが、明治五年創業以来、あい鴨一筋に歩んできた「鳥安」である。

ここの鴨すきは、炭火の上に渡した小さな丸いすき鍋で、鴨をじいじい焼いていくのだが、鍋の片隅に窪みがあって、焼き進むうちにそこに脂がたまる。

その脂のお風呂にネギを入れてやる。フランスで言うところのコンフィ状態、脂煮である。

脂風呂でじわじわと加熱されたネギは、トロトロとなる。

本来はこうして食べるのではないのかもしれないが、トロトロになっていく様を見るのが楽しく、なによりも旨いので、私はいつもこうする事にしている。

 

原産地シベリアのなせる業

 

「かもとねぎ」この言葉が出来た頃は、鴨と言えば真鴨で、その猛々しい肉にネギの強い香気をぶつける事が目的だったのかもしれない。

しかし、あい鴨となり、葱の香気が弱まった今でもこれだけの仲を見せるのだから、余程相性がいいのだろう。

葱の原産地はシベリアだとされているが、そこから日本に渡ってきた。そして鍋の季節に、同じく北の地より日本に飛んで来る、鴨との成せる因縁なのかもしれない。

鴨は料理において、主役としてはあまり登場しない。しかし肉等の脇役としてまわったときには、俄然その威力を発揮する。

 

そんな脇役として鴨と共に仲がいいのが、羊である。それもラムでなくマトンがいい。

例えば札幌のジンギンの名店「だるま」では、その見事な相性を実感できる。

ザク切りにされたタマネギとブツ切りされたねぎが、丸い鍋の上でマトンの臭みを弱め、内から滲み出た脂と肉汁にまみれて、クタッとなっていく。

そのクタッネギとマトンを一緒につかんで、唐辛子やにんにくぶち込んだつけ汁につけて食べるのである。

この時肉の味を持ち上げるのも、肉の旨味を吸ってうまいのも、俄然脇役のネギである。

 

一方魚との相性はどうだろう。

ネギまでおなじみのマグロとの相性は、鴨や羊との大胆な関係には負けるが、これはこれでしっとりとした仲である。

しかしマグロが高価なせいもあって、従来は庶民の食べ物であったが中々お目にかかれない。

大塚の「なべ家」では四月のみ、その味を楽しめる店として有名だが、コース一万四千円は、私にはちと高い。人形町の居酒屋「笹新」でねぎま(七百円)を肴に熱燗をやるほうが合っている。

あるいは銀座 の おでん屋「おぐ羅」のねぎまもいい。

醤油を使わない透明感のあるつゆに、串刺しされたまぐろと焦げ目のついたネギ。ちょいと辛子をつけて口に運べば、葱の香りとまぐろの旨味があいまって、熱燗がたまらなく欲しくなる。

やはり「ねぎま」は庶民の味方だ。

他方で鮭とネギはどうだろう。

原宿の「オランジェリー・ド・バリ」ではそんな組み合わせに出会った。最もネギといってもポワロー、Poireauである。

地中海原産とされるこのネギは、穏やかな香りと甘い味わいがあり、フランス料理では、茹でてドレッシングをかけたり、じゃがいも等とスープにしたり、グラタンやキッシュに仕立てたりと、その上品な味わいを押し出した、主役の料理が多いネギである。

さてその料理「ノルウェーサーモンの冬ねぎムスカデ風味」では、鮭を封じ込めたバイと間に、脇役としてとして取り囲んでいたが、ムスカデ使った酸味のあるソースの中にあって、ポワロの甘みが鮭の旨味を引き立て、同時に皿の中で味わいのうねりを、見事に描き出していた。

他にフランス料理では、あさつきの香りをアクセントに使うが、わけぎを使った珍しい料理を、今をときめく「タイユバン・ロプション」でいただいた。

「わけぎのフラン、サラダ菜のスープ」という料理は、小さなカップの中にサラダ菜のスーブ、更にその中に茶碗蒸し状になったわけぎのフランが入っている。

スプーンでかき交ぜて食べれば、サラダ菜の青い香り、スープの滋味、わけぎの穏やかな甘みが、口の中で順々に交差して、最後まで頬が緩みっ放しの一皿であった。

 

こんなフランス料理を除くと、葱は他国の料理ではあまりお目にかかれない。ネギといえば日本、そして前回の大根同様中国である

その中国では最も古い野菜の一つで、中国食物辞典によると、食用法は日本と良く似ているが、農民、労働者はに味噌をつけて鼻にツンと抜ける刺激を楽し

んだり、小麦粉を薄く延ばして焼いたものに細く切ったと味噌を共に挟んで食べる等、生食することが多いとある。

そんな中国のネギ料理と言えば、一番身近なのはネギソバではなかろうか。白髪葱とチャーシューの細切を、醤油ダレと黒胡椒でサッと合え、熱い油をかけて香りを出した具を乗せたこのソバ、シンブルなだけにごまかしが効かない。

私が好きなのは、スープの旨さなら「チャーリーハウス」の「チヤーリートンミン」香りの点では、中華街の「海南飯店」である。海南はつゆなしのネギ和えそばも旨い。他では葱の量の多さと麺の旨さいう点で「奇珍」もおすすめの一軒である。

 

絶妙!!! ねぎとピザの組み合わせ

 

子供の頃スキヤキをしていて、「頭が良くなるからネギをたくさん食べなさい」と良く言われたが、薬効を調べてみると、頭が良くなるかどうかは別として、頭痛、発熱を静め、健胃を作り、神経を休めるとある。

主な栄養素はビタミンB1、タマネギの2倍のC、6倍のB2で、青い部分にはA、カロチンも含むそうだ。更に葉ネギには長葱の2倍のCがあるそうで、つまり関東の根深ネギより、九条ねぎに代表される葉を食べる関西人の方が、栄養を効果的に取り入れている事になる。

この根深と葉ねぎ、東京人の私としては鍋物や薬味として、どちらか一方がなくては困るというものではない。

しかし絶対葉ねぎでなくては困るという料理もある。それが関西のネギ焼きである。

並ばねば食べられないという欠点もあるが、 本場大阪でいいのは十三の「山本」である。ここでも肉に対する抜群の相性が確認できる「筋ネギ焼き」に出会える。

薄くしいた生地の上に粉鰹節、キャベツ、そして大量の青葱をこんもりと盛り、牛すじ、味付けコンニャク、紅生姜を載せる。

更に生地を少量タラ~とたらし、ひっくり返して押えつけ、醤油を塗り、レモンを絞る。

とろけるような筋の甘みと葱の香り、優しい歯ごたえ。お好み焼きと違うのはビールと共に食べれば何枚でもいけてしまう、困った食べ物である。

東京でも旨いネギ焼きを食わせる希少な店が、成城学園前の「登」で、神戸出身のご主人が、青ネギのおいしい冬の間だけ作ってくれる。

さて最後にとっておきのネギ主役料理をご紹介したい。初台「ツバイヘルツェン」の「ネギビザ」である。ネギとビザという組合わせにしりごみしてはいけない。この料理、まに物事は先入観で捉てはいけないという例を示す、傑作料理である。

自家製のパリッとしたドゥにミートソース、グリュイエール、モッツァレッラ エダム、ゴーダの4種のチーズ、そして、食べようと口をあんぐり開けた瞬間、チーズの香ばしさとそれを上回るネギの香気が刺す。

食べれば、チーズのコク、ミートソスの旨味、生地の歯ごたえと絶妙の塩気、その中でのツンとつくような刺激が最高のアクセントとなって、食べ手の顔を笑顔に変えてくれる。

もしネギが嫌いでないなら、是非この店を捜し出して欲しい。必ずやネギの新しい可能性に、頬がほころぶ事を保証する。